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#オカサヤ って誰?

皆様こんにちは!岡 清華(オカサヤカ)です🌈
最近 TikTok を初めて、“オカサヤ“ と呼ばれています。


さて、前述の影響で最近私のことを知っていただいた方がたくさんいらっしゃると思いますので、改めて自己紹介をしたいと思います。☺️

自己紹介

東京都港区在住の29歳、MOTHERというブランドで、
Mother株式会社という会社を経営して3年目になります。


身長はよく聞かれるので168cmで、体重は55kgが心身ともにベスト体重です。
1993年生まれ、兵庫県出身、平凡な家庭に長女として生まれました。


父と母の愛ある教育を受け、小学校、中学校共に近所の市立学校を経て
家の目の前に進学塾があったのでそこでなんとなく勉強して区域外の進学校を目指すも高校受験で失敗。それがおそらく、私の人生の分岐点でした。


高校生活はもっぱら、飲食店ホールスタッフのアルバイト、
そしてマネージャーとして所属した野球部のキャプテンの彼と付き合うことになり
この二つに明け暮れていて勉強は、ほとんどしたことがありませんでした 笑


そんな中、夢中だった彼から「ちょっと痩せたら?」という一言を受け火が付いたのがダイエットでした。そこからはとにかくダイエットに明け暮れました。



ダイエットから得たもの

どうせなら健康的に綺麗になりたいという思いで、当時ネット上に溢れ始めていた
健康情報を闇雲に信じてただただそれを実践してみることに没頭しました。
( はい、私には没頭癖があります 笑)


勉強を全くしなかった私でしたが、健康や美しさに対しての学びと自分自身を使った人体実験は、本当に本当に楽しく、独学で栄養学や人体のことを学びました。


そしてその結果、10kgほどのダイエットに成功したのですが、
あれ?気づいたら、いつも心がソワソワしていて、なんだか落ち着かない。
こうでなければいけない!という決めつけや、これをしてはいけない。などの
自分で作り上げたルールに自分で縛り付けられていることに気がつきました。


そして、心の面だけでなく、体は骨と皮のように痩せこけてしまい、生理も半年間止まっていて、毎日のジョギングの間は常に足が攣ったり、膝が痛かったり笑
それでもなお、まだ、痩せなければいけないような、そんな衝動に駆られ続けていました。

まるで人生の目的が、「痩せること」にあるようなそんな気分で過ごしていた中、
高校2年生になり進路を決める時期が来て、自分が当時これにしか興味がなかった
「栄養学」を学べる進路があることを知り、管理栄養士への道を覚悟しました。
(武庫川女子大学の食物栄養学科という管理栄養士課程の進路に無事進めましたが、偏差値28→64の大学を目指す猛勉強の中で体重は元通りになりました。笑)

管理栄養士国家資格への道で。

大学生活は、学びたいこと経験したいことが詰まっていてとても楽しい日々。
それと同時にご縁あり芸能活動を始めたのですが(こちらに関しては過去の記事参照)それも相まって、再びダイエット熱が再熱!した私は、次第に、人体実験を重ねていき、その結果、大学で学ぶことと自分の体で起こることや理想のギャップに気がつき始めました。


例えば、同じカロリーを摂取していても太る人もいれば痩せる人もいること、
同じ食事をしているのに病気になる人と健康な人がいること、


そして、栄養学的にも食べてはいけないとわかっている高カロリーやジャンクな食べ物をどうしても心や感情の影響で、わかっていても食べてしまう…なんてこともあり、心や感情をコントロールすることも食に関わることではないか?ということ、


さらに、運動したあとは、なぜかヘルシーなものを食べたくなる、
逆にダラダラしているときや、PC作業などしている時、または睡眠不足の時などは
とてもジャンクなものやスイーツなどを食べたくなったりするなどということ、


もっと進めば、お母さんやおばあちゃんが作ってくれた手料理を食べるととても満足するが、同じカロリーや栄養素であろう出来合いの惣菜やコンビニ食、栄養補助食などを摂取してもなぜか満たされない。などの感覚があり、カロリーや栄養素を超えた何かが食にもあるのではないか?と考えたりしたこと、

まとめると、
・体質の違いによって合う合わない食やライフスタイルがあるのではないか?
・心や感情と摂食との関係があるのではないか?
・カロリーや栄養素を超えた、新鮮さや愛情のような目に見えない何かが食に影響するのではないか?


などということを疑問に思いつづけた私はネットサーフィンを続けた先に
アーユルヴェーダ という道の世界に辿り着いたのです。

アーユルヴェーダとの出会い

そこから管理栄養士国家資格を受験し晴れて大学を卒業したあと、ネット上見つけたアーユルヴェーダの師匠の元に運命を感じ、すぐに彼女が当時住んでいたカウアイ島に修行の旅に出かけました。


彼女と過ごした日々はたった1ヶ月でしたが、そこで感じた自分自身の心身の変容と本質的な学びは、私にとって人生を変えるための大きな大きな稲妻が降りたような経験でした。



さて、この修行期間を経て帰国した関西出身の私は、実践を続けながらこの学びを現代の日本に住む多くの人々に伝えなければ!ということですぐさま、大都市の東京に出てきて、当時所属していた芸能事務所に話を持ちかけてアーユルヴェーダを日本にも一つの選択肢として常識にしたい!という熱い思いを胸に活動を始めようとしましたが、当時の日本では、この異国の古い「アーユルヴェーダ」という習慣どころか言葉すら一切受け入れられなかったのです。


人々は、その言葉にですら、あざわらいました。笑
しかし、私は信じていました。必ずこのアーユルヴェーダが現代の日本に住む多くの人々にもきっと役立つということを。



しかし、私自身も当時まだ22歳の田舎者の女の子でした。
当時のカウアイ島にてアメリカ人の女性に学んだアーユルヴェーダは、
言語はもちろん、言葉や文化や常識でさえも違い、さらには学んだ環境は
過ごしやすくエネルギーも高く静かな島でしたが、私が当時住んでいたのは
日本の中でも最も忙しなく世俗的な欲望に溢れる環境でした。


次第に私は、このギャップに苦しみ、ついにはアーユルヴェーダを全て忘れたかのように東京の街に染まっていきました。しかし、心についた灯火は完全に消えてしまってはいませんでした。


決して近道ではないが、遠回りをしながらも自分が持つ興味と目指す未来と夢に向かって少しでも関わることを仕事や活動にしながら、今の自分にできることを常に行い続けていきました。

アーユルヴェーダに出会って4年ほど経った頃、アーユルヴェーダからほぼ離れてしまった私は以前にもまして体も心もボロボロで、当時は生きている意味すら失うほどになっていました。



そうして当時の全て、仕事もプライベートも全て手放す覚悟で逃げるように独立したのです。そこからが私の第二の人生の始まりであり、今の “オカサヤ“  という人物像が生まれたのだと考えています。

さて、長くなりましたが、オカサヤの過去についてのストーリーでした。
共感いただいた方、もしくは、質問などありましたら是非、コメント欄に打ち込んでくださいね!次は、アーユルヴェーダについて説きたいと思います。

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