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妻が骨折して手術して、ありがたかった話(備忘録として)

7月13日。朝7:30

外から妻の悲鳴が聞こえた。

急いで駆けつけてみると転倒している。
右足首に激痛があるようだ。
捻挫にしては痛さがひどい。
立てず、動けない。
なんとか抱え起こし、家に戻り車輪付きの椅子の座らせる。

診療所は9時から。それまで安静にし、
洗濯、洗濯干し、掃除、保育園送り、犬の散歩、弁当づくり等を済ませて診療所へ向かう。

豊島診療所で診察。
「このぐらいなら大丈夫だろう」という見立て。
レントゲンを撮って見ると
「骨折していた。(整形外科専門ではないので正確には言えないが)手術は不要だろうが、ギブスで固定すればよいだろう」とのこと。
車椅子をお借りして9:30の船で玉野市民病院へ。
友人から車を借りて病院へ向かう。

玉野市民病院で再度レントゲンを撮る(2回目)。
診断結果「右足首の骨折はご年配なら(手術負担大きいので)ギブス固定するときもあるが、若いなら手術して早く治すケースがほとんど。手術するならこの病院ではできない。」
そのまま友人の車を借り、瀬戸大橋を渡り、香川県立高松中央病院へ行くことに。

このままでは息子の保育園迎え(16:30)が間に合わない。
島の友人に保育園迎えと帰宅までの子守を急遽依頼する。
(快く引き受けてくださりありがたかった)

県立中央病院でもレントゲン(3回目)。
(本来、医療行為は痛みを伴うため、「侵襲」は少ない方が望ましいらしい)

血液検査など数多くの検査 の結果、
「本日入院し、明日手術しましょう。」と。

18:05高松発の船で帰ろうとしたが間に合わなかった。
18:30土庄港経由で20:10家浦港着で戻る。
高松港でスマホが電池切れで困っていたところ、島の知人に出会う。
預かってくれている友人に
「18:05に乗れなかったので遅れます」と連絡できた。(ありがたい)

20:30。友人の家で息子を迎える。
魔女の宅急便を夢中で見て、仲良く御留守番していたらしい。
夕飯もお風呂もいただいていた(ありがたい)

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帰り道、小雨が降っているなか、
脱輪して動けなくなっている車を見かける。
おそらく困っているだろうと声をかけると、近くの美術館のスタッフさん。

(スマホの電池がなかったので)近くのガソリンスタンドに駆け込んで相談。急遽2tトラックを出してくれて、ワイヤーを引っ掛けて無事引っ張り出す。成功。タイヤはパンクしたがそのまま修理してもらえることに。
もう大丈夫そうなので帰路へ着かせてもらう。(ありがたい)

今日はなんだか色々重なる日。帰ったら息子の寝る準備。寝たあとは入院道具の準備。必要な服や日用品を揃える。

しかし明日午後手術予定だとしたら、また保育園の迎えに行けない。
(仮に息子を病院につれていっても病棟に入れてもらえない)
今日の友人は用事があり難しかったので、他の友人知人数名に連絡を取る。
幸い、保育園の迎えと20時までの子守をお願いできることに。(ありがたい)
これが頼めなかったら手術の立ち会いができず一人で手術に望むことになっていた。

7月14日。朝

保育園の送り、掃除、洗濯等を済ませる。
息子を預かっていただく方へお渡しする用の
お菓子・食事・おもちゃ・絵本をまとめて1セットにし、
友人のもとへ届けてお願いする。
快く引き受けてもらう(ありがたい)

12時から船で高松へ。車で病院へ向かい妻と面会。
入院荷物を荷解きし、妻と雑談。14時から手術開始らしい。

いつも気丈な妻も、弱めの麻酔のため痛みが強いことを知って少し不安そう。今日は絶食でなにも食べてないから甘いものの話はNGだって(妻は甘いものが好き)。手術室まで「がんばってね」と見送る。

手術時間は2時間30分だった。
簡単そうな手術だから心配はいらないのだけど、それでも医師から「肺塞栓のリスクも高い」などの術前説明を受けて署名すればそれなりに慎重になる。
万が一のことを考える。手術室の自動ドア前で手術終了を待っていると(テレビでよくあるやつ)それなりに心配にはなる。
病院独特の空気も深刻さを煽る。
*癌や内臓系の病気や手術だとしたら、ご家族の心労はいかばかりかと思う。

息子が生まれたときを思い出す。
生まれたときは約2300g、「新生児遷延性肺高血圧」という症状で、自発呼吸ができず、生まれてから2〜3週間NICUで保育器に入ってチューブに繋がれていた。(何度も担当医師から説明を受け、病状をネットで検索したり、このまま生きられるかどうか必死に考えた。)

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(無事NICUも卒業して、今ではだいぶ大きくなってやんちゃになっているけれど笑)

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そんな心配はよそに、手術は無事終了。
よかった。
術後の入院は約10日らしい。

妻はまだ麻酔がきいているが夜は眠れるのが難しそうだし、
しばらくは痛みと闘うのが大変そう。リハビリはそのあと。
金属のプレートで折れた骨を固定する手術だった。

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急いで瀬戸大橋を渡って宇野港へ戻る。19:30の船に間に合うように。
(こういうとき宇高連絡船がなくなったことを実感する)

無事船に間に合う。20:30、友人の家に息子を迎えにいく。
お夕飯とお風呂までいただいていた。(急なお願いを快諾してくれた友人に感謝!)
わんちゃんとも仲良くできて、1回も泣かずにいい子にしていたらしい。

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家に帰ってから息子を寝かしつけ、翌日の保育園と仕事の準備。
今日も終了。おしまい。みんな無事でよかった。みんなに感謝。

おしまい

いろんなひとにお世話になった2日間でした。
祖母や祖父が近くにいないので、こうやって預かってくれたり助けてくれるひとがいることがどれだけありがたいことか。
つくづく実感した2日間でした。本当にありがとうございました!

これからしばらく息子と犬と3人暮らし。

「妻がいなくて夫は何もできず、妻のありがたみを感じる」
というのはよくある話だと思いますが、うちの場合は少し違いました。

うちは毎日、妻に家事育児を鍛えてもらっており(結構なスパルタでw)。
私もある程度の家事育児ができるようになっています。
(料理は妻に頼ることが多いです)

だから私個人の家事育児する量は増えましたが、わからなくて慌てふためくことはなく、家事育児ではほとんど困りませんでした。
(入院準備も、服の位置もわかってスムーズでした)

家事育児は 掃除、ゴミ出し、洗濯、洗濯干し、布団干し、洗濯たたみ、朝食夕食準備、ヨーグルトづくり、レーズン酵母の世話、皿洗い、保育園送迎、保育園準備、お風呂入れて着替えておむつ交換、犬のごはん&散歩、鶏の世話、庭の野菜の世話、などなど。
いろいろやることはあるけれど順番にやっていけそう。

スパルタで教わっているときは「言い方がきつい」など色々思ったりしていましたが(苦笑)、この状況で私が家事育児できるようになっているのは、正直妻のおかげだと思う。(ありがたい)

昨晩、テレビ電話で妻と息子をつなぐと、息子はとても嬉しそうにお話して、妻の布団でぐっすり寝ている。

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妻の代わりは誰にもできない。

それは「家事や育児で必要」という意味では決してなく、
存在自体が息子にとって代えがきかない存在、なのだと思う。
(それはもちろん、私にとっても)

だから、いつもよく動いて働く妻には、安静にゆっくり直して、元気になって帰ってきてほしいなと心から思う。こっちはこっちでなんとかなるから。

来週、議会で7:45の船で出発する際は、保育所は早朝7:30から特別に受け入れてくださることになったり(ありがたい)、友人に「お昼ごはん食べにきなよ」と言ってもらったり(ありがたい)、「これ食べなさいよ」と近所のばあちゃんからうどんをもらったり。
いろんなひとのおかげで今日も生きているというのを実感したり、妻に感謝したり、2日間でした。


そんなこんなで色々あってお騒がせしましたが笑、
家族みんなで乗り切りたいと思います^^

何かとしばらくレスポンス遅くなったりご迷惑おかけしますが
今後ともどうぞ宜しくお願いいたします。

もてき



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