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友人代表スピーチ

はじめに


2023年10月某日、友人の結婚式に初めて参列しました。
しかも初めての結婚式で友人代表スピーチも話しました。
一番幼い頃からの親友の結婚式ということ、
仕事が比較的楽で時間が有り余っていたこともあり
一世一代の大仕事ぐらい気持ちを込めて文章を綴りました。
忘れるのも勿体ないのでここに残します。

※〇〇=新郎(あだ名) ☆☆=共通の友達 ♡♡=新婦さん



本文


人生とは緩やかな登り坂だと思います。
僕と〇〇はその登り坂の最初の方、転校初日、小学3年生の始業式の日、
その登り坂の上で出会いました。
それから僕と〇〇は毎日その登り坂を登り続けました。
それは、本当に当たり前のことでした。毎朝決まった時間に待ち合わせ、坂を登って学校に行き、学校が終わればまた同じ道を通って帰り、公園でキャッチボールをしたりゲームをしたり。こんな当たり前の日々も
7年続いたと思うと大したものです。
その中で、毎朝すれ違う人にあだ名をつけていた時期もありました。
「新幹線」、「怪獣」、「肉じゃが」…。
同級生の女の子にひっつき虫を投げつけて帰る日もありました。
子どもらしいといえばそれまでですが、あれは良くない。
あの人たちに会うことがあれば絶対謝ろなと今でも二人で言っています。


話が少し逸れてしまいました。
そんな当たり前の毎日を当たり前たらしめたのは、ひとえに〇〇の
「寛大さ」にあると思います。
毎日同じ景色が続いても、僕の話がつまらなくても、あそこにいる☆☆が
いつまで経っても朝決められた時間に来られなくても。
〇〇は変わらない。毎日いつもの場所に現れ、楽しい話をしてくれる。
野球でもそうです。どれだけ打線が振るわなくても、チームがどれだけ勝てなくても、僕が後ろでどれだけエラーをしても、〇〇は淡々とチームのために投げ続ける。幼い頃からエースの資質を兼ね備えた大きな男だったんだと今になって思います。


話を今一度、僕たちが出会ったあの登り坂の上に戻そうと思います。
あの日、〇〇は僕の少し前を歩いていました。そこをウチの母親が図々しくも後ろから声をかけて、それが出会になりました。
思えば、あの日以来〇〇はずっと僕の前を歩いていたと思います。最初に野球部に入ったのも、野球部でレギュラーとして頭角を現し始めたのも、初めてスマホを手にしたのも、初めて彼女ができたのも、全て〇〇が先。
そして、今日こんなにも素敵な結婚式を挙げている。
もちろん、僕より先に。

ただ、〇〇が真っ直ぐ幸せになることは当たり前のことだと僕は思います。昔から心が広く、それでいて自分の気持ちに正直で、誰に対しても思いやりを持って接することができる。こんな人はなかなかいません。
だからこそ、今日この場にこれだけ多くの人が集まり祝福してくれている。


さて、〇〇。
人生とは緩やかな登り坂だと僕は思います。
これから先、登り坂が急に感じたり、どうしても足を止めたくなる時があるかもしれません。そんな時決して下だけは向かないでください。
周りを見渡せば家族や沢山の友達が〇〇と共に歩みを進めています。そしてこらから先、〇〇のすぐ隣には♡♡さんという素晴らしいパートナーがいる。頼るべき人たちが周りにいてくれることを忘れないでください。
そして、ちょっと後ろを振り返れば、あの日と同じように僕が〇〇の後を追って登り坂を登っています。気が向いたらいつでも何でも話してください。


大切な人生の節目に話す機会をくれてありがとう。
そして、結婚おめでとう。二人とも末永くお幸せに!



あとがき


スピーチを任せてくれた新郎〇〇
スピーチ前の緊張しまくりの僕と話してくれた友人☆☆
スピーチ後に声をかけてくれた披露宴にいた人たち
全体の構成の相談に乗ってくれた友人Kくん

すべての感謝の気持ちをここに残そうと思います。

あと披露宴当日、ベルトをし忘れていたことも書き残しておきます。

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