今晩くらい、悲劇のヒロイン

時計の針は11時を少し過ぎました。

2年間癌で闘病生活を送った父を夏に亡くしました。まだ若いじゃん。なんでや。そんな気持ちでしばらく探したけれど、周りの人に恵まれまくってなんとか今も元気で私は生きてます。

秋が過ぎ、冬が来て、新しい年が来ました。ここに来てようやく自分のことを振り返ることができるようになりました。

父が癌だとわかってから2年間、働きづめの母、引きこもりの姉、寮生でなかなか家に帰ってこれない弟、闘病中の父、この家族の中から笑顔を絶やさないよう、楽しい話題を与えられるのは自分だけだって思っていつでもニコニコおしゃべりをしてきました。笑えばNK細胞とやらが活性化して癌なんて倒してくれるって信じて喋り続けました。

私は幼い頃「将来はお父さんと結婚する系娘」だったので、父のことが大好きでした。他の家族は九州生まれ九州育ちだけれども父は関西の出身で、私が幼い頃、「好きな人の口癖や喋り方はうつる!!!」みたいなテレビをみた父が「家族の誰も関西弁を使ってくれない」と嘆いてからは所々見よう見まねの関西弁を挟む癖がつき、いまでも住んだこともない土地のエセ方言がぴったりとくっついてとれません。


父の最期の手紙に「お父さんが病気になってからはさらに明るくなってみんなを笑わせてくれてましたね」って書かれていた時はハッとしました。笑わせよう笑わせようって思ってたのバレてたんやなぁって思いました。

今大学で知り合った人達は過去の私を知りません。「なんでも笑うね」「いつも笑顔だね」って言われます。もちろん他意がないことはわかります。しかし私は笑うのをやめたい。元の自分に戻りたいんです。

元々の私は「よく笑う」ではなく「喜怒哀楽が激しい」という表現が妥当な人間でした。今父のことを思ってもなかなか「哀」までいけません。虚無が襲うのみです。そして張り付いたニコニコ顔がとれません。全然面白くないのに。

だからね、これから私が心を溶かしていく人たちへ、私は「笑わなくなった」んじゃないんだよ「楽」を取り戻したんだよって言えるように今は少しずつ取り戻せるよう頑張りたいって思うのです。

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