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震災と原発事故から12年 「新世代をめぐる課題と提言」

加藤文宏

あの日に小学生だった人たちの時代へ

 東日本大震災から12年。みな平等に12年分の歳を重ねた。あのとき20代、30代だった人たちは、いま30代、40代、50代である。震災と原発事故のあと、この世代が日本の社会を底支えし、同時に未曾有の複雑かつ困難な課題と直面してきたと言える。私が帰還を助けた、首都圏から被曝を恐れて自主避難した人々も40代や50代になった。

 そして2011年に小学生だった人たちは青年になった。この青年たちの記憶の量とディティールは歳上の世代とあきらかに違っている。2011年に生まれた人たちは小学校高学年になった。いまランドセルを背負って通学している人たちには震災と原発事故の記憶がない。たとえば小学生だけでなく青年層にも、震災が発生した年月日が「2011年3月11日」であると知らない人がいて、原発建屋の水素爆発を目の当たりにしたときや、風評加害が猛威をふるったときの感覚は彼らに共有されていないのだ。

 次の10年で青年層は壮年層になり、小学生は青年へ成長し、いまだ被災地の復興は道半ばで、原子力発電所事故への対処とエネルギー問題はこれからも続く。彼らにこそ伝えなければならないのである。しかし、震災や原発事故にまつわる社会的な課題を問うとき、問いかける先として無意識のうちに想定されているのは、できごとを共有している私たちであって、彼らではない。

 これでよいのだろうか。


それぞれの世代に起こっていること

 原発事故の直後「福島産」という言葉は、食べて応援する気持ちがあったとしても、背景には放射性物資が付着していると懸念する風潮があったうえで使われていた。

 検索クエリとしての「福島産」の動向をみると、Google上では2012年以内に検索数が急激に減っている。対してクエリ「福島 桃」は2014年以降、検索数が増え、検索結果に示されるサイトの情報は好意的なものが圧倒的に多いのがわかった。

Google 検索数 推移

 このほか放射線デマと密接な関係がある特殊なクエリも「福島産」と同傾向の推移をしていることから、国内の被曝への不安は2012年から収束期に入り、2014年いっぱいで解消されたと言える。

 ところが2014年以降もALPS処理水を「汚染水」と呼び、現在は除去土壌を「汚染土」と呼ぶ報道があり、これをもとに放出や搬出に不信感を高める人々がいて、妥当性や安全性を伝える広報や説明が拒絶されている。これら少数の人々は、事実にたどりつけないのではなく、たどりつかないことを目標として情報を集め、集めた情報を信用している。いま30代以上の世代は、冷静に事実を受け止めている層と、事実を拒否することが目的になっている層に分化し、固定されたと言ってよいだろう。

 これは現在までの広報や他の情報発信の結果であり、限界でもある。限界がわかっているのだから、対処方法も自ずと明らかになる。では若年層はどうだろうか。

 2016年と古めの記事だが、日教組系教員の小中学生への指導の様子がうかがいしれる報道がある。

 記事で報告されている日教組教研集会の様子から、「チェルノブイリ」「健康被害」「怖さ」「避難状況」などキーワードを用いて生徒の不安感を刺激する指導をしていること、原発を否定的に捉える指導と平和教育が結び付けられ一体のものにされていること、成績がよい子やリーダー的な生徒は原発に肯定的であることがわかる。

 教研集会での報告が教育現場の様子を正しく反映しているとすると、児童や生徒が原発存続に否定的な感情を抱く層と、肯定的な感情を抱く層に二分されていることになる。

 そして、

 また気になったのは、今回の教研集会での原発授業をめぐる議論で、原発再稼働について賛成する児童・生徒への先生たちの本音だ。ある女性教諭はこう言い放った。
 「成績の良い子やリーダー的な生徒の中には原発再稼働に賛成する傾向がある。将来的に政治家や経済界を牽引する立場になっていくのだろうが、だからといって(再稼働賛成に)放っておくことはできない」

と、原発に肯定的な子の考え方を否定する指導が行われている可能性がある。事故に直面して不安を感じて原発を忌避する感覚になるのと、事故を体験していない人たちが原発を忌避するのが正しいと教師から指導されるのでは、認識と心理に違いが出るのはまちがいない。

 また福島県内、県外の小中学生を対象に行われた意識調査を比較した「福島県内外の若者の放射線に関する意識調査について」(岡田・野ヶ山/2018/福島大学地域創造 第29巻 第2号 p83~89)は、県外において放射線の正しい知識を示す生徒数は県内と変わらないものの、放射線の影響に「不安有り」の回答数が多いことを指摘している。

 論文では上記と別に行われた調査から、大学生では放射線の基礎知識が乏しいほうが不安が少なく、“「正しい知識がないから不安がる」と叫ばれたが,この結果からはそうとも言えないことを指摘しておく”としている。

 これらの世代の意識と動向は、まだわからない点が多い。わからないのだから、何を、どのように伝えたらよいかもわからないのである。


私たちが引き継ぎを終えて去る時代へ

  これからの10年、12年は震災と原発事故を体験していない世代が青年になり、記憶が曖昧な世代が名実ともに社会を引き継ぐ時代になる。私たちは成果だけでなく負の遺産も手渡さなければならないだけに、現在までの状況を正しく彼らに伝えなくてはならない。

 しかし私たちは彼らを知らず、彼らとのコミュニケーションの取り方を知らないのは前述した通りだ。そして被災地以外の若者にとって、震災と原発事故は風化しきっていると考えたほうがよいだろう。いわゆる「語り部」としてできごとを伝えて、不足分を補うだけでは時代の引き継ぎは不可能なのだ。

 なぜなら風評加害は彼らが物心ついたときから存在していて、彼らは復興事業の真っ只中にある被災3県しか知らず、原発は停止した状態があたりまえだからだ。進行中の諸問題を、いま用いている論法で伝えても、現在の彼らは理解しようにも理解できないのである。

 まず私たちは彼らを知るための努力をしなければならない。岡田・野ヶ山(2018)では学校に頼らざるを得ない調査の難しさが指摘されているうえに、調査結果から新たな論点や論法を生み出さなければならないが、時間はいっさい待ってくれない。結論を待たず、私たちは彼らと断絶していることを意識して、彼らに伝えることに注力しなければならないのだ。

 既に始まりつつある次の時代は、私たちが何を為すか問われているだけでなく、引き継ぎを終えて私たちがいかに社会から去るかも問われているのだ。

 


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