大衆扇動 学校検診と活動家になりたい人 そしてマスメディア
加藤文宏
はじめに
小学校で行われた健康診断について女子生徒の保護者が上半身の衣服を脱がせる行為の理不尽さをTwitter/Xで訴え、たちまち数多くの人が寄り集まって検診をする医師や学校や集団検診に怒りをぶつけはじめるできごとがあった。
このできごとそのものを論じるのではなく、このできごとの「構造」をあきらかにして、いまどきの大衆扇動を考える。
SNS世論・フレーム・虚像・争点
健康診断騒動を整理すると上掲の図になる。騒動を起こした人たちは図の構造を逐一意識して行動していたとは思えないが、目的のために何をどうすればよいかくらいはわかっていたはずだ。彼らは活動家になって、権力者を動かしたいのである。
まず「できごと」がある。不快、ハラスメント、男女(ジェンダー)は、人々が反応しやすいテーマで、流行のテーマでもある。学校で行われる健康診断には医師(男性医師)、学校、行政といった彼らが権力と見なしやすい登場人物がいる。
小学校で行われた健康診断の話題を最初に投稿した人物は、学校に事情を伝えるわけでもなく、自治体や文科省に質問しようともしなかった。SNSに訴えるのは賛同者を集めたかったからだ。
なぜSNSで賛同者を募るのかといえば、複数の人々が同じテーマで声をあげる「SNS世論」を生み出すためだ。寄り集まってきた人々は、健康診断について問題意識を持っていないものの不快、ハラスメント、男女(ジェンダー)などへの漠然とした感情を発散し、これをSNS世論にすることを目的にしていた。
SNS世論は、実際の世論とは別物だ。しかも極めて少数の人々と、これらの人々に興奮させられて追随している人々の意見でしかない「世論の虚像」だ。しかし、SNS世論が過大評価されているため権力者も無視できない状態になる。
医師が実際に権力者であるか否か別として、権力者と見なされた医師たちが「SNS世論」に黙っていられなくなった。続いて行政も関心を持つに至った。
これがSNS世論を生み出し、権力者を引っ張り出す構造だ。
「できごと」は、それだけでは「争点」にならない。なぜならできごとは複雑であり多面的な解釈が可能だからだ。複雑なできごとにナイフを入れて切断面を見せて「何ごと」を「どのように」論じるか決めないと「争点」は生まれないのである。
たとえば原発事故だけでは争点にならない。ここに反原発か原発存続かの争点がつくられたから論争になった。
「小学校で健康診断があった」だけでは争点にならないので、女児が恥ずかしい思いをさせられたのは重大な問題であるとできごとに切り口がつくられた。これは不快、ハラスメント、男女(ジェンダー)であったり、医師(男性医師)、学校、行政といった登場人物を加え、お約束の見せ方が整えられた。
ここまでの経緯は、スマホのカメラアプリを開いて、被写体をどちら側から撮影するか、近づくか遠ざかるかを画面を見ながら決める「フレーミング」のやり方とそっくりだ。
フレーミングしだいで、写真を見せられた人の反応や感想が変わる。独創的なフレーミングなどというものはほとんどなく、定番で紋切り型の切り取りかたで写真が撮影される。
「小学校で健康診断があった」から「女児が不快なハラスメントを受け、しかも相手は男性の校医だ」という紋切り型の「主張フレーム」がつくられたのだ。いつかどこかで経験した紋切り型だけに、人々は背景や前提を語らずとも健康診断の話ができるようになった。これを読む側も賛否関係なく紋切り型の理解をした。
主張フレームは争点を単純きわまりないかたちに明確化したので、権力者と見なされた医師たちが「主張フレーム」に黙っていられなくなり、他の権力側に位置する人々も無視できなくなった。
これが「SNS世論」と「主張フレーム」によって権力者を動かす構図であり構造だ。問題を解決したいのではなく、活動家になって権力者を引っ張り出して糾弾することが目的になっていると言える。
メディア世論・フレーム・虚像・争点
勘のよい人や会員読者の方は気づいたかもしれない。
一般人が[SNS世論・フレーム・虚像・争点]で権力者を引っ張り出す手法は、これまで会員ページで論じてきた[メディア世論と報道フレーム]の構図や構造とまったく同じものだ。
報道機関が権力者の「正当性」を問う際は、法や道徳に反していると思われるファクトを発掘して、1社だけでなく複数の報道機関が報じて「メディア世論」と呼ぶべき強い力を生み出す能力が発揮される。「メディア世論」は報道によって生み出された世論の「虚像」だ。世論に見せかけられているため権力者を圧迫する。
また1つの出来事への多様な解釈のうち一部分を強調する「報道フレーム」が権力者を動かす上で重要な意味を持つ。報道フレームという「紋切り型」の「お約束の見せ方」があると複雑な説明抜きで情報を発信できるようになって、受け手側も情報を受け取りやすくなり、理解するのが簡単になる。権力者にとっても、争点が単純な構図に整理されているためインパクトが強く無視できない存在になる。
一般人が先か、報道機関が先か──誰が世論の虚像とお約束の見せ方を利用しはじめたかははっきりしている。大衆に対して大量の情報を素早く流す手段があれば、誰もが同じ発想をし、同じことを始めるというだけなのである。
かつて大衆に対して大量の情報を素早く流す手段いわゆるマスコミュニケーションは報道機関に独占されていた。だから大衆は政治について知るために報道機関に依存し、政治家はマスメディアを恐れた。
現在はSNSも大衆に対して大量の情報を素早く流す手段として使われている。だから大衆は政治について知るためにSNSを利用し、政治家はSNSを恐れるようになった。
循環・虚像と社会運動
原発事故以後の風評被害発生の原因を解明するなかで、オピニオンリーダー・活動家・政治家/報道・SNS/不安や不満を抱えた人々(追随層)の関係が実態以上の被害や放射線デマを「虚像」として生み出したり、彼らの存在が実態より巨大で強力なものであるかのように「虚像」を生み出していた構造をあきらかにした。
上掲の図で表現した三つ巴構造には、オピニオンリーダー・活動家・政治家が追随層の不安や不満に、怒りの対象を示唆して攻撃行動を生み出すもう一つの循環構造が含まれていた。
報道・SNSが生み出す虚像は、メディア世論であり報道フレームとして活用された。
メディア世論と報道フレームは、「あたかも強大な存在であるかのような世論の虚像」と「情報の虚像」で追随層を刺激した。同時に、メディア世論と報道フレームが権力者を圧迫したのは前述の通りだ。
原発事故ではまさにオピニオンリーダー・活動家・政治家と呼ぶべき人々が大衆扇動を発動させたが、「小学校で行われた健康診断」に端を発するできごとは一般人が大衆を扇動して権力者を圧迫可能なのをあきらかにした。
活動家になりたい人たちが、虎視眈々と権力者の「正当性」を問う法や道徳に反していると思われる「できごと」を発掘しようとしている。しかも問題を解決したいのではなく、活動家になって権力者を引っ張り出して糾弾することが目的になっているのだから、弱者が救済されるまえに社会が混乱するだろう。
大衆扇動は既に未知の領域へ足を踏み入れている。