「平均以上」を目指す呪縛との葛藤
幼少期から育まれた呪縛
私は子供のころから、健常者と同じ普通学校に通っていました。しかし、足が悪いため体育ではいつもビリ。
今振り返ると、「体育はできないけども、みんなと同じになりたい」という気持ちが強かったのだと思います。体育はできないからこそ、勉強ではいい点を取らないと周りと同じステージには立てないという気持ちがあったように思います。
テストの点数や順位、偏差値を気にして、「今回のテストは平均点以上いってるかな?」「偏差値50は切っていないかな?」と思う気持ちがどこかにありました。
多分、障害を持っていることを言い訳にしたくなかった。平均値を下回ると「みんなと同じ場所」に居れないのではないか?という気持ちがどこかにあったように思います。
そして、学生時代はそれなりの成績を取りながら、社会に出るわけになるのです。
社会人になって初期のころ
社会人になると、就職してからのキャリアパスを考える中で、やはり、「平均」というものを意識していました。
ネットなどで、「どの役職にはどのくらいの年齢で就くのが平均か?」などを調べたり、「何年目には何ができるようにならないといけないか」ということを調べたり、先輩に教えてもらったり。
そして、同期と同じペースで仕事をこなせるようになるには、どうやったらいいのだろうか?などということを考えながら、100m走を走るようなスピードで、社会人生活をスタートさせました。
100m走を走るようなスピードで仕事をして2~3年が経過したころ、身体は悲鳴を出し始めました。そりゃそうです。100mダッシュをずっとしているんだもの。身体が普通なほうがビックリです。だけども一緒にスタートしたはずの同期は、少し先を走っていました。
これではいけないことは分かっていたけども、スピードを少し落とさざる負えないことは身体から伝わってきたので、次は、仕事のスピードを400m走を走るくらいのスピードに落としました。同期との差は開く一方でした。そして、「平均以下」の自分を認めないといけなかったのですが、認められなかった。
そんなあるとき、身体の動作が非常に鈍くなり、外を歩くこともしんどくなったのです。身体の動作が鈍くなるのは、私の障害起因だとは思っていましたが、今まで、外に出ることができなくなるほどの鈍さを感じたことはなかったので、怖かったです。
かれこれ、数ヶ月、仕事を休んだり、短時間勤務を繰り返して、職場に復帰しました。
その前後に、知人のブログを通じて、同じようなことで悩んでいる人がいることを知りました。そして、このブログを読んで私は救われた気持ちになりました。
よし。
周りのペースには合わせられないけども、自分のペースでやればいいではないか。
そうは思うけども、400m走のスピードから、今度はスピードの緩め方がわからなくなっていました。また、何よりも「平均以下」となることで、自分は「認められない存在」となることが怖かったのです。
だけども、徐々にスピードを調整しながら緩めていきました。「平均以下」にはなったけども、それでも、そんな私のペースで今は仕事をすることができています。
最近になって思うこと
人生100年時代、いうなればマラソンです。自分のスピードで走らないと身体や心が悲鳴を上げてしまうのは、当たり前のこと。
それなのに、「障害があるから」という言葉を甘えにしたくない。という見栄やプライドで、「みんなと同じかそれ以上にできる自分」でいなければならないという思考回路から抜け出せなかったのだと思います。
「周りのペースに合わせる」のではなく、「自分のペースを見つけ出す」というのが、何よりも大切なことではないかと私は思うのです。
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