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HSS型HSP 看護師の忖度疲れなのかも

最近、テレビで忖度と聞いて、いつも思い浮かぶ医療現場での忖度について考えた

「忖度」って言葉の威力って大きいな・・・なんて感じる

忖度とは=他人の気持ちを推し量るとか、意図を汲み取るなんて意味があるらしい
言葉だけ、見るととってもいいことのような印象を受ける
あいにく、意図は見えない

きっと、忖度=”勝手に”気持ちを推し量ることなのかな
勝手だろうと、必要だろうと看護師には必要な力だよね
隠れた意図を汲み取って気を回すことって、看護師にとても大事な要素だと思う
なのに、忖度って、実際にはいいことに使われていない

病棟で働いていると、たくさんの忖度がある

特にHSPの気質があるため、この忖度はどこまでも果てしなくきりがないほど無限に多数、方々に続く気がしてしまう
考えれば考えるほど、無数に可能性はあるし、意図や気持ちは本人すらわかっていないことがある
正解はわからないし、結論が出ないことも多い
あくまでも、結果論になってしまう

忙しさに甘えて患者さんに忖度をさせてしまうこともたくさんあったし、患者さんから医師に忖度している場面は多いし、ほぼ忖度しかないと思うくらいだ

誤解を恐れず言うなら、医師は忖度してもらわないと仕事にならないような気さえしてしまう

医師が患者さんや家族に割ける時間は少ないし、それをいいことに患者との関わりを最小限にしようとする医師も少なくない
対人間の仕事に就いた以上は、この人間の複雑さにもっと向き合ってくれると、人間として尊敬できるのに・・・とよく思う

患者さんや家族が医師に病状やこれからの治療方針や可能性について細部に渡ってたくさん質問が出たり、看護師ではなく医師に聞いてほしいと思うのは至極当然のことだけど、実際のところは忖度してもらわないと話が終わらない

と言うことは、患者さんや家族はおのずと忖度して話をわかったフリをするか、わかってないけど、詳しく聞いてもわからないから、先生に任せるしかない、となるわけだ
または、患者さんは、先生は忙しいんだから・・・って忖度してくれるのを待つしかない

その分、医師は医療技術というところに能力を費やしているのだから、勘弁してやってくれ!と言われそうな感じもするし、その緩衝材というか、クッションというか、板挟みというか、ステップという存在に看護師がなるべきという声も聞こえてきそうだが、看護師の業務が多岐に渡っていることを踏まえれば、看護師として黙って耐えるのは、ちょっと限界かもしれない
忘れてはならないのが、対人間ということはその生きてきたすべての要因が複雑に絡まっているのだから、それを少しでもほどくのには時間を要するのは当たり前なのだ

看護師もまた、医師に忖度をする場面が多い

医師の機嫌を伺い、今日でなくていい指示をもらうのは翌日に回すことや、機嫌が悪くなりそうな報告や確認事項は医師のお気に入り看護師に依頼する
こんな配慮という忖度が、看護師の力量とされる世界が現実にある

また、医師の指示がわかりにくく、ミスの危険性があるが、指示の入れ方を説明したり、指摘すると機嫌が悪くなるため、管理職も含め誰も言えないという忖度。または、言ってはいけないという雰囲気がある、重ねて言えば、それを言って、医師の機嫌を損なう看護師はヘタクソ的なニュアンスさえある。(HSPだからそう感じてしまう?のかも)
正義感の強い白黒つけたいHSS型HSPとしては、言ってやりたいが言わない方がいいのはわかっているのでモヤモヤしてしまう

これの厄介なところは、看護師の仕事や危険が増えるということ
それが患者さんに一番影響があることなのだが、看護師が黙って、そこを担って忖度してしまう
そのため、看護師がより注意を払い、細かいチェックという仕事が余計に増えてしまう
仕事柄、ヒューマンエラーを最小限にしたいところだが、そこに医師は協力してくれない
というか、依頼さえ忖度に阻まれてしまうことがある

どのセクションでも、基本医師に対する忖度を目にすることは多い
そんなに忖度して欲しいとは思ってないのかもしれないし、忖度してくれって思ってるのかもしれないし、忖度して勝手にやったことは、自分の立場から出した指示ではない!知らない!周りが勝手にやったこと、なんて言えちゃうんだから、忖度って本当に都合のいい言葉だなと思う。

忖度が、記録として残ったらいいのにね。
忖度が、形に見えたらいいのにね。

どれだけの忖度をされていて、その忖度の打率がわかったら、いいのに・・・なんて

必要な忖度もあるのかもしれないけど、忖度という態度やご機嫌伺いでどんどん気持ちが大きくなっていった医師や管理職が、その末端の忖度できるスタッフを評価していくような世界は望ましくないと思う。
だって、忖度は、見えないんだから、どんどん広がっていく
忖度が忖度を呼び込んで、忖度が常態化していって、おかしな事もおかしく無い当たり前になってしまうことだって、現実にあるんだから

時々、忖度する力って、誰のために身につけている能力なんだろう?と思う。
忖度して得するのは、誰なんだろう?
上司の忖度にうんざりすることは多いし、納得がいかないが、そこは忖度して何も言わず、ストレスを溜めながらじっと我慢していること自体が、自分への忖度なのかもしれない


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