なんでもはできないけど、できるだけできたほうがいいんじゃないの?
社会では、できることが多い人や、できる度合いがハンパない人ができるということなのではないか?と思っている。
仕事を一生懸命しなくてはいけないというのは、誰にでも当たり前なのだろうか?
私は、仕事をしているとき一生懸命だし、一生懸命にやらない方法以外を知らない。
そうだな、いつもの仕事に関して当てはめれば、一生懸命を表現すると常時120%、多忙時には150%?くらい・・・もう苦しくなるに決まってる笑
でも200%を求められていると感じることも多くある。
家では0%⇨通勤中50%⇨更衣室で100%かな。
例えば、野球で外野手のポジションがあるけど、そのポジション以外に飛んできた球を取ろうとしているという状態なのだろうか?
それとも、二刀流の大谷翔平のような高い理想を勝手に掲げて、がんばっている状態なのだろうか?
時々、一生懸命やることが、役に立たないかもしれないし、できないかもしれない自分の、せめてもの償いだとすら思っている節もある。
お給料をもらって働くということは、そういうことなんだと思い込みすぎて、どうやら自分の大事な心まで一生懸命捧げてしまったみたいだ。
HSPという性質は、他人との境界線がうまくひけないらしくて、共感できてしまうし、他人の求めているであろうことにも敏感に気がついて、反応してしまうところがある。その人自体もあまり感じていないかもしれない期待を勝手に受け取ってがんばってしまうところがあるように思う。
なので、結果的にはどこまでも努力と、一生懸命が求められている世界線では生きにくい。
看護師をしていて、いっぱいいっぱいになってしまったときに、誰かに相談すると決まって「そんなにあなたが背負う必要がない」「そこまであなたに誰も求めていない」と言われることがある。
でも、その気持ちがなかなか拭えない。
だって、もっと早くできたらあれもできるし、これも手伝えるし、一つでもやれることが増えたら会社には役に立てているということになるのではないか?というバイアスががっちり私を拘束してしまう。
百歩譲って、私の場合なら、そのくらいの気持ちで働かないといけないのではないかと思ってしまう。
他の人にそんな気持ちを話すと「そりゃそうだけど・・・人にできることには限りがあるんだから、何もかもできるわけじゃないし、そんなの当たり前だよ」と返事が返ってくる。
でも、私には、それが完璧とまでは言わなくても、周りの人にはある程度の頑張りでスラスラと気にも留めない程度で、できているように見えているという摩訶不思議な現象が、実感としてあるのだもの。
だから、もっと頑張らなくては人並みになれないんだ!って。
理想が高いのか、完璧主義なのか〜と自分の生きづらさが、自らの思い込み、バイアスによって起こっている当然の現象であることに気づく。
周りの人は、そんなに完璧にできないんだから、最初っからある程度できたらいいと思ってるし、できなくても別に自分を責めるようなことではないという。
自分はこんなこともできているしって思うらしい。
まぁ、そんなことを聞いても、違うよ、それはあなたができるからだよ!って思っている自分がいる。
なかなか、こんな自分がいなくなってくれないから、ずっと自分は苦しいのかもしれないな。
こういう考え、小学校の時からあるんだけど・・・そりゃ自分に定着するはずだよね。
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