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HSS型HSP 対人の境界線が難しい

HSS型HSPという気質がある私は、人の役に立つということにとても自己価値を感じる。

昔から、人の役に立つ仕事をしたいと思って看護師になったし、できる限り、周りの困っている人を察知してサッと助ける!なんてとても自分を有効活用できている気がして喜んでしまう。

ただ、この親切や人の役に立つということがどうも、無意識でも自分をないがしろにしてしまうことが多い。

いい人なんだけど、演じすぎて疲れる。
役に立ちたいとかいい人と思ってもらいたいという一心で自分のキャラ作りをしたり、嘘をついたり、話をもったり、道化を演じてしまうことすらあるのである。

それでも、喜んでもらえたなら良かったと思える時もあるのだけれど、その仮面を外せなくなってしまって苦しくなったり、曝け出したら嫌われるかも・・・なんて不安に駆られる。

日本ではレッテル貼り思考が強いと思うし、この人は面白い人!いい人!明るい人!なんて一般的に良いとされるレッテルを貼られると、それに応えなければならないと必死になるという思考が働いてしまうように思う。

かといって、嫌な人、気が利かない人、わがままな人なんてレッテルを貼られた日には必死になってそのレッテルを塗り替えようとしてしまうに違いない。

相手の喜ぶことが予想できたり、盛り上げたら重宝がられたりするのを見ると、こちらも嬉しくなるからやってしまうのだけれど、そのあと本当の自分ではないため、次会うのが面倒に感じてしまったり、その後の人間関係に悪影響を及ぼしたりするため、その境界線を引く匙加減のコントロールが難しいのだ。

それを裏切った時に人をがっかりさせてしまうのではないか?という・・・
なんて他人本意な思考なんだ!と我ながら困惑するけれど。

例えば、急などしゃ降りの日に傘がなくて、ずぶ濡れの人を見ると、濡れてしまって辛いだろうなーとか、車に乗せてあげようかな?でも急に声かけたらびっくりするだろうなーなんて頭の中でどんどん妄想が発展してしまうことがある。

だからといって、いつも雨が降っているたびに車に乗せてって言われるのは負担が大きいのだ。

それを逆手にとって、私を責めてくる人もいるくらいで、偽善者!!!的に思われてしまうこともある。

そう、これが現実。どこまでも人の役に立つことは難しいし、自分をどういうふうに守っていけばいいのかわからない。

看護師の実習で一番しんどかったのは、小児科だった。子供が苦手なのだ。

看護学生の時に、先生に正直に子供が好きではないと言ったとき、「自分が子供の時もあったのに?」とか「子供は素直でいいのに」なんて言われて、自分が人でなしのように感じたこともあった。

でも、今ならわかる。

子供は素直がゆえに、ズバっと傷つくことを言ったり、わがままだったりする。

自分は、対人でそのような振る舞いができないし、大人であってもそのような振る舞いの人を苦手とし、その心理も何も理解不能だから。

相手の気持ちを察したり、相手の喜ぶことを考えて行動できない子供が苦手なのは、すんなり腑に落ちる。

女友達と盛り上がって変顔したり変なキャラを演じていて、それがやけにウケてしまうことがある。
それを、好きな異性の前で友達に強いられる時は、本当に辛かったなー。

内心、いやいや、私のキャラを勝手に決めないで!好きな人の前では、キャラ変更希望ですけど!!!なんて、無情で無神経な女友達を心の中で呪ったことが何度あることか・・・笑 いや、笑えない。

リセット癖というのも、常に演じていて、そのキャラが定着してしまうから、定期的にリセットしたくなるっていうのもあるんじゃないかな?
ただ単に、そんな自分の環境やポジションに飽きるというのもあるのだが。

年齢を重ね、今は、だいたいのことをわかってきているから頑張らないようにはしているつもりだが・・・仕事や子供関連の親との付き合いは常に警戒モードで疲れてしまう。
特に、世話になっている、何かを自分のためにしてくれたというキーワードがあると、どこまで自分をすり減らさないといけないのかわからなくなる。
また、仕事においても、なにか行き届かないことがあると患者さんからどこまでも理不尽な要求や主張を繰り広げられることがあるが、消えてしまいたいくらいの気持ちに追い詰められてしまうこともある。

期待に応えなくていい、できなくていい、他人ではなく自分を喜ばすことを第一に考えねば!!

あるがままの自分を捉えるということの難しさって、最大のテーマかも。


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