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HSS型HSP わかったところで感じる虚無感

HSS型HSPの気質を持っている私。
ここ数年で、この気質という自分の成分を知って、たくさん自己理解を深めることができている。
苦しい時、考えが頭をぐるぐる回ってしまい思考に囚われている時に、自分を客観視でき、なるほど、なるほど・・・とわかったわかった。と思える効果はある。

刺激追求型だけけに、この性質に対して自体、かなりの興味津々で、かなり調べたし、色々な人のケースを見たり、上手に言語化してくれている人がいると教祖なのでは?と心酔したくなったり・・・することもある。

ただ、それで・・・??ってなる時がある。

わかって、深めて、自分を知って、鎮める・・・ことで、何かが生まれたという自覚は無い。

無理していたんだな、頑張っていたんだな、背伸びしていたのかな?なんて思うんだけれど、それで自分の人生の何かが変わるわけでもないし、免罪符をもらえるわけでもないし、周りのだれに理解してもらっても、なんのプラスにもならないのではないか?と思ってしまう。

確かに、今までの自分の不思議を言語化できたり、例で説明できて、「へぇ。そうだったっんだねー」ってわかったような表情をされたり、自他ともに腑に落ちたという感覚が味わえたとて、何か生まれるのだろうか?共有できた気になっているのかもしれないし、それはわからない。

実際、友達に同じような話をされたこともあるが、しっかりと聞き流している自分がいるわけで。

あぁ、難しいな。みんなそれぞれの特質ってあるはずだし、使命も違うだろうし。

自分の性質を理解して、苦しまなくなったというのが、ゴールなのだろうか?

性質を変えようともがくことに意味がなく、それを活かそうと思うことに意味があるのか?

自分をレアだと思うことで自分を責めることがなくなったり、他の人と比較したり、比較して自分を責めたりしなくなると楽になるというこ効果を狙ったらいいのだろうか?

結局、こんな風に頭の中をぐるぐる回っているHSS型HSPという特性に逆にこだわってしまうのも嫌だし。

SNSでたくさん流れてくるHSPの情報も多くて、理解を深めることで自分の人生がガラッと変わりました!!!的な文言も散見されるけれど。

なんか、これ、逆に迷子になってない?自分。


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