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まとめⅦ「存在」

そろそろ文章を書きすぎて、飽きてきたので(正直か)

とはいってもaikoについて書き始めると止まらなくので、
最後にaikoの音楽について書くことにする。

その3:「音楽」

昔、拙い文章で記事にもしたが、aikoについて知ったのは、
2007年の「シアワセ」。
それまで、「ボーイフレンド」が保育園の運動会で流れていたな、くらいにしか、aikoについて認識してなかった。
「シアワセ」でaikoと出逢ってから、心酔(浸沼)していくわけだが、
13年の間、aikoの音楽と生きてきた。
CDをリリースしたら、そのたびに親に懇願して買ってきたし、
ライブをやると知れば、どうにかして行けないものかと探った。
社会人になり、ようやくライブにも参戦できるようになった。

逆にaikoから離れた時期もある。
「鏡」、「Loveletter」、「もっと」あたりで、歌詞の意味が分かってきた時の戸惑いからだった。また、aikoも2000年代後半の俯瞰的で余裕のある音楽から、本能、衝動的な音楽への変化に違和感を感じてしまった。
10代までは歌詞をちゃんと読んだことがなく、単に「声」、「メロディー」、「コード進行」、まさに「音」としてしか、aikoを認識していなかった。
自身も歳を重ねるごとに、思っていたよりリアルな女性性を感じてしまい、そういう人間らしさを当時の自分は受け止められなかった。

しかし、またすぐに再燃したのは、生粋のaiko小僧になっていた自然の理なのだろう。
歌詞を詰め込み、リアルで儚い愛の形を集めた「泡のような愛だった」や、
あれほどコレジャナイ感を感じていた「鏡」を聴くようになったのは、単なる好き嫌いではなく、
aikoという「存在」、それ自体を受け入れるフォロワーになった、ということのように思える。

aikoも、人間だ。
自分もそうであるように、みんな人間で、良いところも、悪いところも、好きなところも、嫌いなところも、全部違う。
私は、aikoの存在自体が好きだし、
好きな面、自分には合わない面、たくさんあるが、全てを受け入れられる。

aikoだけではなく、私と関わりのあるすべての人に対してもそう思えるようになりたい。

脱線してしまったので、まとめると、
aikoはすごい。
ライブでの距離感、意表を突いた音楽、自分の想いを貫く強さ。

「合わない」と感じる人もいるかもしれないが、
私は、aikoを知れて、aikoと出逢えて、本当に良かったと感じている。

aikoの歌詞の凄みを知ったのはNHKラジオで放送された「うたことば」という番組。

あのあたりから、aikoの歌詞について、いろんな人がその魅力を語る場面に多く出くわすようになった。
今はまだaikoの歌詞に共感したことがないし、同じような経験をしないと共感ができないと思う。

ただ、aikoの世界は、共感を強いていない。

驚くほどピュアで、透き通り、
人間味に溢れながらも、それがすごく魅力的に映し出されている。

その世界に触れるだけでも、aikoの虜になれる。
そして、どんなキレイな映像でも、
aikoの音楽以上に、その美しい世界を表現することはできない。

それほど、aikoの歌は、詩と曲をあわせて初めて、
肉眼的であり、内的であり、体験的な世界を作り出している。

aikoがただのシンガーでもなく、作家としてでもなく、
シンガーソングライターとして今、存在しているのも必然であることも納得できる。

これからもaikoの、変わらないながらも、新しく変化していく世界に触れることにワクワクする。

私も自分というジャンルを切り開いていくくらいの強さを持つために、まずは様々なものや人、文化に触れていきたい。新しい自分を目指して。

(青空だけでなく、スカパラとのコラボ曲のブルーデイジーも新しいaikoを垣間見ることができるので是非)

追記
後半を読み返すと今とは全く感覚が違っていて、書き直したいところですが、、一旦そのままにします。

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