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エッセイ:フォロワーが統合失調症を発症していた

携帯端末が広く普及し、誰もがインターネットに接続できるようになった今の時代、精神疾患を患う人を目にする機会は少しも珍しいことではない。

普段、家から会社に通い、そして家路につく日常の中では、社会の歯車として火花散る前線で戦う人らとばかりすれ違うが、そうでない人々もそこには等しく存在している。

フォロワーのG君

Twitterで相互フォローとなっているG(仮称)は、元々社会情勢や科学系の専門的な分野に対することを中心にツイートしていたが、気が付けばある時から自らの境遇を悲観するツイートを多くするようになっていた。
何やら聞きなれない単語が多く流し見に徹していたが、ふとそれらについて調べてみると、すべてが架空の単語で架空の概念であった。

彼は元々優秀で能力のある人間であるのだが、きっと何らかの原因で上手いこと能力を生かした仕事に就けず、理想と現実の軋轢でいつしか耐え切れぬほどのストレスを抱えてしまっていたのではないか、と思った。その果てに統合失調症や、それに近しい状態になってしまったのであろう。

最近のツイートを遡ると、自分が認識している状況が疾患による妄想でないと確認するために裏付ける第三者の意見をインターネットで検索した痕跡がいくつかあった。
自分が置かれている一見突飛とも思える状況をもしかしたら精神疾患による妄想ではないかと疑う余地が、その時現実にあったのであろう。しかし残念ながらインターネットという巨大なカオスの中には解釈次第で自分の主張を裏付けうるデータが往々にして存在するものなのだ。

糖質のコンテンツ

twitterやyoutubeに存在するコンテンツの中には、統合失調症を患う人間の妄想の産物たる主張が無数に存在している。(もちろん人によって症状は様々だが)
彼らの、彼らなりの利他精神と熱意で発信された世間への警告は、一見すると異様で気味悪く、人々に忌避感や排除したいという感情を湧かせるが、しかし、自分の内面の発信というのはストレスの緩和、引いては病気の治療、症状の緩和のために有効なアクションであるという事実がある。

フォロワーのGは、本人の無意識下だったとしてもそんな病魔と格闘している最中であり、件の奇妙なツイート達はその実績であり証左なのだ。
だからいたずらに忌避せず見守っていきたい。

統合失調症というもの

自分の妄想が本当に妄想なのかどうかの判断(自覚)は、病気の状態、重度か軽度かに相関すると考えている。

すなわち症状が重ければ自分の妄想を否定しようとは思えず、逆にある程度軽度であるならもしかしたらこれは妄想なのではないかという考えに至ることもあるであろうということだ。

精神疾患は常に主観的であるため自らが罹患してるのではないかと自覚しづらい特徴があるように思う。
例えばある程度重い抑うつ状態にある人はこれが自分の素の状態であると考えていたり、まず抑うつ的な状態にあることすら自覚していなかったりすることがある。
統合失調症についても同様で、症状が重く自覚できていない状態にある人は他人に病院への受診を進められてもなかなか言うとおりにしないことがある。それは本人にとっては他人に危害を加えられていたり監視されているような気がしたり、幻聴が聞こえていたりすることはすべて"現実"で否定しようのない事実だからである。

もしも自分が重大な事実に気が付いたとして、それを友達に話したとして一切まともに取り合わないどころか病院に行けなどと言われようものならきっと頭に来るし、言うとおりに受診することも無いであろう。

それに、それにもしもどうにかして病院に行ったとしても、診察してくれる医者のことを信じることができるだろうか...... 医者すらも危害を及ぼしてくると感じることすらあるかもしれない。

統合失調症を確実に自覚し治療していくにはどうすべきか

まず、あらゆる精神疾患に共通して言えることは「予防を徹底すべし」ということである。

過剰なストレスを溜めないようにしたり重大なストレスを与えてくる原因とは物理的、精神的距離を置く努力をしたりすることや、疲労を溜めないようにしたり生活習慣を乱さないように気を配ったりすること、他にもセロトニンやオキシトシンを習慣的に分泌することができるように散歩をすることや恋人や友人との時間を大切にすることなどがまず大切である。

そして、統合失調症という精神疾患についての理解を深めておくことも予防として大切である。統合失調症の具体的な症状や患者がよく取りがちな行動、薬に頼りすぎずリスク無しで自分で実行できる症状緩和方法などを知っておくことなどが大切である。

そして、統合失調症に罹患した場合、確実に自分で疾患を自覚する方法は
病気であろうと無かろうと過剰なストレスの原因からは距離を置き、真に健康的な習慣を心掛けることである。
これにより、仮に疾患を負ったとしても症状が緩和されるため妄想を疑い罹患を自覚する余地が生まれるのだ。

とはいえ、これらは精神疾患に罹患しうるような落ち込んでいる状態ではなかなか実行が難しいことだったりするので、やれることから、やれる分だけ少しずつ行っていくことが大切である。

おわりに

社会やネットワークが発達し、誰もが社会のストレスに曝されるこの時代、もはや精神疾患は心の風邪と呼ばれるほど普遍的なものである。

つらい精神疾患になってしまえば、生きていて感じられる喜びや物事のすばらしさすら希薄になり活力も失われてしまうことだろう。

しかし生きていれば想像もつかないような素晴らしいことや幸福な出会い、救いが必ずあるので、無理して自死を選んだりせずやれることを積み重ねていくべきである。(結論が主張からずれている)

おわり

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