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人生を変えた一枚なんてないです!

先日、あるライター講座で
『自分の人生を変えた一枚』
というテーマで文章を書くことがあった。

ここで言う一枚、は音源ディスクの意味での『一枚』ね。講座の最終課題として与えられたこのテーマに、私は今でもずっと頭を悩ませ続けている。
あなたにはありますか?『あなたの人生を変えた一枚』。大手を振って「ある!」と言える人のことを私は心から尊敬したい。
正直に言うと、私はその課題を与えられたとき

「そんなもんねぇよ!!」

と心から思った。これは別に私は音楽に対して興味がないとかドライな感情しか湧かないというわけではない。むしろ、私自身は音楽がなければ生きていけないタイプの人間だ。それでも『自分の人生を変えた一枚』と言われるとそんなもんねぇよと思ったし、その課題に対し酷く憤り、その憤りのまま書いた課題文は講師にコテンパンに批判されたので、悔しくなってこの記事を書いている所存だ。
私と同じく、『自分の人生を変えた一枚』が思いつかない人、もしくは暇で暇でしょうがない人は読んでくれたら嬉しい。これは私の抗議文だ。(関係者の方が見ていたら怒られそうなので黙っておいてくださいね)


まず、
『自分の人生を変えた一枚』
という課題のフレーズ自体について考察する。

『自分の』
『人生を変えた』
『一枚』

分解するとこうなる。自分、というのはその文章を書く書き手のこと。一枚、というのは音源ディスクのこと。それは分かる。それらが挟む『人生を変えた』という言葉が肝なのだ。
『人生を変えた』という言葉を、拡大・縮小解釈すれば、この課題で書ける内容の幅は格段に広がる。
拡大解釈すれば、
「自分を含め、多くの人の人生を変えた」や「音楽シーンを変えた」など、様々な角度で考察できる。
また、縮小解釈すれば、
「あの時、自分を救ってくれた」や「自分の考え方を変えた」など、これも様々な角度で解釈することができる。

しかし、
『人生を変えた』
と言われると、そのどれもがしっくり来ない気がするのだ。加えて『一枚』というのが非常に困る。『一人』や『一曲』であれば理解できる。一人 ならその人の考え方や発言、生き方に共鳴した、ということを語ればいいし、一曲 ならその曲の歌詞や構成の感動した点を語ればいい。しかし求められているのは『一枚』だ。困った。
これはもう、この課題と私の中で育ってきた『音楽観』との間には、絶対的な隔たりがあるのだと認めざるを得なかった。

アルバムには、10数曲の楽曲が収録されていて(2枚組、3枚組とかで変わってくるけれども、その辺は黙っておいて)その一曲一曲にメッセージが込められている。私はその一粒一粒が少しずつ聴いた者に影響を与え、変化させていくのだと思っている。
もちろんその一粒の影響力の強弱に違いはあるだろうが、結果的に『一枚』はそれらを束ねる記号的な役割を果たすものではないだろうか。

そして、無数にある楽曲を束ねる『一枚』もまた無数にあって、その一枚一枚が聴いた者の考え方や生き方を少しずつ変えていく。
私にだって『人生を変えた一枚』がないわけじゃない。今まで生きてきて聴いてきた『一枚』の全て、一つ残らず私の人生を変えているのだ。それは、擦り切れるほど聴き続けた好きなアーティストのアルバムだって、一度再生しただけで二度と聴かなかったシングルだって、バラフライエフェクトを起こして私の人生を変えている。
それはきっと誰でも同じではないだろうか?少なくとも『音楽好き』を公言している人で、『一枚』で人生の大部分が構成されていると言い切れる人なんていますか?
と思う。
まぁそんなことを反抗期のようにつらつらと書き連ねたのだから、ボロクソに批評されても何も言い返せないし、他の参加者はちゃんと書いていたので私の考え方は全く一般的ではないらしい。まぁ、自分は変わった奴だという自覚はちゃんと持っているので落ち込んだりはしないけどね。


そんなこんなで納得のいかないまま書き上げた課題文を載せておく。書き上げた後も別に納得いった訳ではなかったので、大幅に加筆修正をしたが、正直に書こうと思った結果だ。捻くれた人間の文章だと思って笑ってくれればいいよ。


『人生を変えた一枚、というテーマは今日も悩みの種の一つとして着々と根を張り始める。
確かに音楽には人生を変える力があるし、苦しみから救う力があるだろう。しかし音楽は時代の潮流や記憶の荒波の中でその印象や在り方を変えていくものだ。数年前に聴いた際には確かに心に響く楽曲であっても今聴くと然程感動を覚えないこと、またその逆も然りで、今日聴いた音楽が明日同じように染み入るとは限らない。あんなに好きだった音楽も“人生を変えた”かと言われればそんなこともないような気がしてくる。自分でもゲンキンな奴だと思うが仕方ないので、そう思うようになったきっかけである一枚のアルバムの話をしよう。

UNISON SQUARE GARDENが2018年にリリースしたアルバム『MODE MOOD MODE』。2015年にリリースした『シュガーソングとビターステップ』が大ヒットを記録し、 “売れ線”にぶつかった彼らが、そこから離れたり近づいたりしながら作られた本作は、よく言えば盛りだくさんな悪く言えば混沌としたアルバムだ。しかし決してとっ散らかっているわけではなく、アルバムを通して聴くと最後に残るのは清々しい満足感であり、聴いた者の明日がほんの少しだけ明るく照らされるような前向きな気持ちにさせられる。

このアルバムの目まぐるしく変わっていく様はさながら豪速で走る車窓からの景色のようで、その列車の速度は最後の一曲までその速度を緩めることはない。しかしそれでも「バラついていない」と思えるのは最後の一曲があるからだろう。

終曲である『君の瞳に恋してない』はダイナミックなホーンの音色と、一聴すると熱烈なラブソングのような歌詞が特徴だ。この曲は私に、一つの『音楽の愛し方』を赦してくれた一曲だと感じている。本当に『MODE MOOD MODE』には多種多様な楽曲が収録されていて、でもその一つ一つがどれも主役級の光を放つ。今日はこの音楽に恋をするけれど、明日はまた違う音楽に恋をする。この浮気性な愛し方を、『MODE MOOD MODE』というアルバム全編を通して肯定してくれたように感じている。
往年の名曲である『君の瞳に恋してる』を、まるでジョークのようにもじったタイトルも、「君の好きに愛してみたらいいよ」と肩肘を張らず、少しの遊び心をスパイスにして、私に『音楽の愛し方』を教えてくれたのだ。

きっと、今まで聴いてきたディスクの一枚一枚が少しずつ聴いた者の人生を変えている。
“君の瞳に恋なんてしてはないけどわかる”
つまり、一枚のディスクを一途に愛する、という姿勢でなくても音楽が人生を変えることはたくさんある。そして私を浮気がちな女に変えてしまった一枚は、今日も誰かの恋を掻っ攫っていくのだろう。
今日も音楽はほんの少しずつ、どこかで誰かの明日を彩り、人生を変えていく。』


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