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小説『桐島、部活やめるってよ』をようやく読んだ話

ずっと本棚の一番目立つところに置いたまま、手をつけていなかった小説がある。積ん読にすら入っておらず、
「もう明日から読むつもりだから!」
と、最前列に置かれたその小説は数ヶ月そのまま放置されていた。

2012年に初版が出版され、書籍は大ヒット。映画化までされた名作『桐島、部活やめるってよ』を、私は遅ればせながら本日読むことを決意した。
そして本日中に読了した。
私がこの小説を読むのを躊躇っていた理由はただ一つ。

私も、高校のときに部活を辞めているからだ。

その点に関して、今思い出したからって何一ついい思い出はない。
「色々あったけど、あれもいい経験だったよ!」
などという清々しい思いは一ミリもない。あれは、経験しなくていいなら誰も経験しないほうがいい、と私は思う。
あの時に感じたどうしようもない怒りや諦念、焦燥感のようなものが、本作を読んでいるうちにジワジワと思い出された。もうすっかり治ったと思っていた瘡蓋を細い針で突かれるような、決して心地よいわけではない感情が蘇ってくるのを感じた。




小学校から高校まで私はずっと、クラスでも学校全体でも、目立つ生徒だったと思う。

クラスでは学級委員をやったし、体育祭があれば体育祭実行委員をやったし応援団にも入った。文化祭があれば文化祭実行委員をやったし、合唱コンクールがあれば指揮者をやった。

特に“やりたがり”だったわけではないと思うが、ただホームルームで
「誰かやってくれる人いますか?」
となった時の、やってくれそうな人をチラチラと見るあの空気と、見られた人が気まずそうにする空気が苦手だった。だったらそうなる前に「私がやるよ」と言ってしまう方が楽だと思った。
それに、
「あなたにやってほしい」
と言われたら嬉しいし、そんなこんなでホイホイとあらゆる仕事を引き受け続けた。それが苦痛でもなかったし、人前で話すのも、色々な人と関わるのも好きだったので、気づけば私はクラスでも学校全体でも、目立つ生徒になっていた。

スカートの裾は切っていたし、でろでろに伸ばしたカーディガンを着ていたし、たまに校則違反のパーカーを着て行ってキャーキャー言いながら先生から逃げたりしていた。
クラスのみんなで協力してもぎ取った合唱コンクールの優勝旗だって、私が賞状を掲げて放課後に撮影した集合写真だって、そこに写っている一人残らず心からの笑顔で写っていると思っていた。
中学生の私は、この世界にある何もかもが輝いて見えたし、少なくとも私の周りにいる人はみんな、学校が好きだと思っていた。
いや、思い込んでいたのだ。

中学から高校に進学して部活に入ってからも、それは変わらなかった。
でも少しだけ、歪んでいくように何かが変わっていくのをどこかで感じていた。

教室の真ん中で机に座って足を組んで大きな声で喋る私たちと、教室の端の方で小さな声で喋る、フルネームすら曖昧なクラスメイトたち。
分からないなら仲良くなりたいと思ったし、話したことがないなら話してみたいと思ったから、私は機会を見て彼女たちにたくさん話しかけた。私が彼女たちの机に近づくたびに会話が途切れて、彼女たちは貼り付けたような笑顔を見せた。

それでようやく私は気付いたのだ。『スクールカースト』は、こんなにも身近にあるのだと。

笑い声の大きな友達と入部した部活では、唯一無二のポジションであるキーパーを務め(種目まで言うと身バレしてしまいそうなので種目は聞かないで)、2年生になれば部長になった。
練習もそこそこ厳しいし、立場として厳しい言葉をかけざるを得ない瞬間も多々あった。ポジションがポジションだったので、練習は一人ないし同じポジションの後輩と二人でやることが多かった。だから私はギリギリまで気が付けなかったのかもしれない。

いつからか、部内で私の居場所はなくなっていた。

誰よりも早く一人でグラウンドに向かって、準備をして部員を迎えて、談笑するチームメイトを横目に、私は黙々と練習した。
虐められていたとか、そういうわけではないと思う、きっと。ただ、部員は私に話しかけないし、私は部活が終われば一人で下校するようになった。

しかしそれでも私は部長として部を率いなければならないし、キーパーとして時に厳しい指示を出さなければならない。私の指示に返事はないし、私の言葉に耳を傾ける者もいない。
その現状に耐えられなくなって、私は部活を辞めた。キャプテンは無責任だと私を責めたが、それ以外の部員は私が部活を辞めるその日まで結局一度も私に話しかけることはなかった。
2年生の夏に国体に出場することが決まっていたので、顧問には国体が終わったら部活を辞めるという旨を伝えたら、
「仲良いと思ってたけど、何かあったのか?」
と聞かれた。そんなもんかと思った。目立つことをしていれば見てもらえるわけじゃない。心配してもらえるわけじゃない。一番大きな気持ちは、諦念だったと記憶している。


部活を辞めてから、クラスのもといたグループには同じ部活の人がいたので、まず私はクラスでの居場所を失った。
そして、教室の端の方に座っていた子たちとお弁当を食べるようになって、少しだけ仲良くなった。

ある日、同じ中学だった子と話をした。中学の頃の話をするとき私は、みんな等しく仲が良かった私の中学が大好きだったからそう話したら、
彼女は
「田中(仮名)さんから私たちに話しかけることはできたかもしれないけど、私たちから田中さんたちのグループの子達に話しかけることはできなかったよ」
と言った。
そのとき、私はなんて返したのか覚えてないけれど、それ以来私は彼女の前で中学の話をするのをやめた。

「あの子たち、ちょっと怖いんだ」
と、真ん中を小さく指差してそう言われるたびに、どんな顔をしていいか分からなくて、結局私はそっとその場を離れた。


そうして私は、『スクールカースト』から外れた。

スクールカーストの階級が落ちたというより、スクールカーストの中から、私は居なくなった。どこに属する子ともそれなりに話せるけれど、私が居なくてもカーストは成り立つ。教室の真ん中で大きな声で笑う彼女たちだって、一緒にトイレに行ってくれる友達がいなければ困るし、教室の端の方で話す彼女たちだって、一緒に話してくれる友達がいなければ困る。
けれど、私がいなくても彼女たちは誰一人困らないのだ。
部活動に熱中していた私から部活動がなくなったとき、私には何も残らないことにこの時やっと気が付いたのだ。中学生の頃に私を守っていた『学級委員』の称号も『実行委員』の称号も、その時の私には何もなかった。

それから、朝は誰にも会わないように一番に学校に行って、図書館で勉強をしたし、放課後はクラスで一番に教室を出て家で勉強した。勉強ぐらいしかすることがなかったのだ。特に行きたい大学もなく、「一緒にここの大学を受けようね」と言い合う友達もいなかったので、そそくさと推薦で大学を決めた。自由登校の期間は、結局一度も学校には行かなかった。
卒業式には出たが、その後の『送る会』的な会には出なかった。

ただ、“やっと終わった”という感情だけが残っていた。


『桐島、部活やめるってよ』で語られる桐島は運動部のキャプテンで、自らの役割を全うしようとする中で、その居場所を徐々に失っていった。詳しい描写は作品の中にはないが、どこかで見た似たような景色がずっと、私の脳内を駆け巡っていた。

本作の中で、桐島は登場しない。
名前と、少々のエピソードが描かれるのみだ。

全編を通して、桐島が部活を辞めたことで影響を受けた者らのストーリーが紡がれる本作を読み進めている途中、私はずっと
『桐島本人が登場すること』
を恐れ、同時に心のどこかで期待していた。

しかし、最後まで桐島は登場しない。

そんなもんか、と思った。


桐島が部活を辞めても、部活は続いていくし、
桐島が部活を辞めても、人間関係は変化し構築されていく。
きっとどこかで私は、桐島が
『いなきゃ困る人』
であることを期待していたのかもしれない。

そこでやっと気が付いたのだ。

私はずっと、『いなきゃ困る人』になりたかったのだ。


学級委員も、実行委員も、部長も全部、『いてもいなくてもどっちでもいい人』になりたくなかったから選んだ道だったのだと、今になってようやく気が付いた。

桐島はどうだったのだろう、と思う。
私と同じであってほしいと思った。箱庭の外側から見ていることしかできなかった、17歳のあの時間が、私だけではないと信じたかった。


もう消えたはずの傷跡をなぞるこの作品を、私は今すぐもう一度読み返そうとは到底思えないが、きっといつかふと読み返したくなってしまう時が来るような気がしている。

それは、懺悔なのかもしれないし、懐古なのかもしれないし、はたまた後悔なのかもしれない。そのどれもが、決して忘れてはいけないものなのだと、本作『桐島、部活やめるってよ』は、私に消えない焼印を残していった。



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