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アドベントカレンダー12月9日 お題「夜ふかし・腹減った」BY眉侍さん

紗季は、後悔していた。
こんなことになるなら、雄太に生活時間帯の変更なんて迫るんじゃなかった。
でも、もう遅いのだ。

もともと雄太は、フリーのライターで、夕方から明け方に起きて仕事をし、昼間は寝るという生活をしていた。
会社勤めの紗季は、毎日、夕飯を共にするだけで、休みの日に二人で出かけたりしたことがない。
一体何のための同棲なのだろうか、と思う。
仮に、この先結婚して、子どもが生まれても、雄太はこの生活を変えるつもりは無いのだろうか?

何度も、普通の生活時間帯に起きていてくれないだろうか、と頼んでみたのだが、
「この働き方が俺に合ってるんだよ。昔から、学校のために起きるのがほんとに苦痛で、早起きするくらいなら死ぬ方がましだと思っていたのを、耐えて耐えてやってきたんだよ? ようやく大人になれたんだから好きにさせてくれないかなあ」
と雄太は言うのだった。

「だって、雄太はライターなんでしょう? 取材とか、先方の都合で昼間起きなくちゃいけないこともあるんじゃないの?」
「ない。っていうか、そういう仕事を受けないようにしているからさあ。最初から、俺は夜しか働けない人間だって、ちゃんと公言して仕事もらってるんだよ」
「私は、寂しいのよ。ふたりで住んでるのに、ひとりでいるみたい。休みの日にどんなに天気が良くても、洗濯物を干すくらいしかすることがないんだもの」
「俺にかまわず、出かけてくれていいのに。俺だって紗季が寝てるときに、飲みに出かけてることだってあるし」
「そういうことが言いたいんじゃないの!」
紗季はバンとテーブルをたたいた。

「せっかく一緒に住んでいるんだもの、ふたりでいろいろ楽しみたいじゃない?」
「俺は今の暮らしが気に入ってるんだけどなぁ。毎晩、紗季と飯が食えるし。別々に住んでたら、それすらできないよ」
「雄太が昼間起きてくれたら、朝ごはんも一緒に食べられるし、休みの日には昼ごはんも一緒に食べられるわよ」
「紗季はそんなに俺と飯が食いたいの?」
かちん! 大事な話をなぜ茶化すのか。
紗季の怒りのダムは決壊した。

「わかった。もういい。出ていく。私たち別れましょう!」
紗季の剣幕に、雄太は焦った。
「待って待って。俺、ほんとに朝がダメなんだよ。昼間起きれないの。病気なの」
「じゃあ、やっぱり別れましょ。将来のことを考えたら、そんなお父さんを持つ子どもも不憫だもの。あなたは吸血鬼の女の人でも探して、幸せになって。私は昼間も一緒に楽しめる人を探すわ」
「わかった、紗季ちゃん。起きる。起きるから。でも一週間、猶予をください。昼夜逆転した今の生活を、いきなりは戻せないよ。一週間で何とかするから」
「ふーん」
「おねがいっ!」
雄太に土下座までされて、紗季は矛を収めることにした。
「一週間ね。それ以上は待たないし、新しい部屋、探し始めるから」
それだけ言うと紗季は、寝室のドアをぴしゃりと閉めて眠った。

翌朝起きると、雄太がパンをかじりながら、朝食の支度をしていた。
「おはよ」

紗季はびっくりした。
「どうしたの? いつもなら大いびきで寝てる時間なのに」
「俺は、変わるんだよ。紗季のために!」
「一睡もしてないの?」
「うん。このまま夜まで起きてたら、きっと、普通に眠くなると思うから、今日は寝ないで仕事してみる」
(へえ。本気だったんだ)
紗季は、自分のために変わろうとしている雄太を見直しながら、雄太の入れてくれたコーヒーを飲み、会社に出かけた。

帰宅すると、雄太が夕飯を作っていた。
「え? ほんとにずっと起きてたの?」
「うん」
雄太はこともなげに言う。
そして、大量の豚キムチと、大量の豚汁と、大量のマカロニサラダをテーブルに並べ、自分用に山盛りのどんぶり飯をついだ。
「そんなに食べるの?」
紗季はぎょっとして訊いた。
「うん」
雄太は、いつもの五倍はあると思われた夕飯を、ぺろりと平らげた。
「お腹、大丈夫?」
「全然平気だよ」
「そんなに食べて、眠くならない?」
「うん。紗季、あのさ、俺、昨日の夜すごい論文を見つけちゃったんだよ」
「論文?」

それによると、人間の三大欲求は、振り分け可能なのだという。
標準的な人間が「食欲:性欲:睡眠欲=1:1:1」だとすると、潜在意識に働きかけることで、この比率を替えられるのだというのだ。
例えば「食欲2:性欲0:睡眠欲1」のような具合に。

「俺の場合さ、男にしちゃ、食わない方だったじゃない?たぶん、睡眠の比率がかなり高かったと思うんだよね。食欲0.5:性欲0.5:睡眠欲2くらいにさ。それを書き換えればいいんだと思って」
「思って…ってどうやって?」
「催眠術を使うんだよ。論文を書いたのが都内の大学の先生だったから、昨日の夜のうちに、メールしといたんだ。ライターです、被験者になりたいです、その体験を書かせてくださいって。そしたら、昼頃に返信が来てさ」
「うん」
「今日、時間がとれるっていうから、早速、ZOOMで催眠術かけてもらった」
「え?! そんな……。危なくないの?」
「催眠術くらいで死にゃしないだろ。やってみる価値はあるし、週刊誌のネタくらいにはなるし。一石二鳥」
「うーん。それで今、どんな感じに振り分けてもらってるの?」
「とりあえず、食欲2:性欲1:睡眠欲0になってるはず」
「ゼロって! 人間寝ないと死んじゃうんじゃないの?」
「死なないらしいよ。その分、食えばいいんだって。それに極端な方が面白いじゃん」
胡散臭い。
紗季は思ったが、まさか、本当に寝ないわけがないと思ったので、とりあえず何も言わないことにした。

その日は金曜だったので、2人で夜ふかしをして、映画を2本見た。
久しぶりにソファでいちゃいちゃして、紗季は幸せを感じた。
しかし、その間も、雄太は、おにぎり、ラーメン、たこ焼きなど、せわしなく食べていた。
そして、25時を過ぎ、紗季が眠くなっても、雄太はらんらんと目を光らせたまま、カール薄味の袋をバリっと開けてザーッと口に流し込んでいた。
「雄太? 寝ないの?」
「うん。まだ全然眠くない。仕事するわ」
「わかった、おやすみ」
紗季がベッドに入り、明かりを消した時、玄関が開いて雄太が外に出て行ったようだった。

朝になると居間のゴミ箱は、パンパンにあふれていた。
雄太がコンビニで買ってきた、ありとあらゆる食品の包装が捨てられていたのだ。
袋菓子、おにぎりやサンドイッチの包み、カップ麺の器、アイスクリームのカップ、唐揚げ棒の串、おでん用のどんぶり、バナナの皮、フルーツゼリーのカップ、カロリーメイトの箱……。
豆腐のパックは三丁分あった。
一応、家計に気を使ったのだろう。

当の雄太は、巨大なベーコンの塊をそのまま口に入れながら、キッチンで朝食の用意をしていた。
「おはよ」

「おはようじゃないでしょ? 昨日も寝てないの?」
「うん」
「夜は寝てよ。体壊しちゃうよ」
「だって、眠くないんだもん」
そう言いながら、雄太はベーコンをごくんと飲み込み、傍らの食パンに手をのばした。
「紗季もパンでいい?」
「雄太」
「なに?」
「その、催眠の先生に連絡して、すぐに解除してもらって」
「なんでだよ。俺が昼間起きてないと、紗季は出て行っちゃうんだろ? 別れるんだろ?」
「それにしても、こんな過激なやり方じゃない方法があるはずよ。夜はちゃんと寝て」
「なんだよもう! 起きてろって言ったり、寝ろって言ったり。ほんと、女ってわけわからん。俺にどうしろって言うんだよ」
「催眠の先生に電話して、全部1に調整してもらおうよ。人より寝すぎていただけなんだから、そこだけちょっと直せばいいだけじゃん」
「わかったよ、もう!」
雄太は、電話をかけた。
日曜なので、大学の電話は通じない。
教えてもらった携帯にかけると、留守番電話になっており、
「学会で、二週間留守にします。ご用件は帰国後承ります。申し訳ありません」
とだけメッセージが流れた。
「二週間も、こんな生活するの?!」
「二週間もあれば、結構ネタがたまるな!」
ふたりは同時に真逆のことを叫んでいた。

それからの二週間は、地獄のようだった。
家を出るときも、帰ってからも、食べ物のことしか考えていない、獣のような男が、部屋をうろうろしてるのだ。
まだ、寝ていてくれた方が良かった。
紗季は、こんなに後悔したことはなかった。
私のわがままで、雄太をこんなにしちゃったんだ。
このまま一生、戻らなかったら、どうしよう。

雄太は、冷蔵庫に食材がなくなると、乾物のひじきをそのまま貪り食っていたし、水で溶いただけの小麦粉を、レンジでチンして、ソースとマヨネーズを大量にかけて食べたりもしていた。
食文化というものをガン無視して、とにかく欲を満たすために食べていた。

紗季は、雄太の獰猛な食欲を見ているうちに、これはつまり、同じだけ獰猛な睡眠欲が雄太の中にあったのだ、と気づいた。
睡眠欲は見えにくい。
ただ寝ているだけの人間は、とても平和に見える。
ところが、それを食欲に置きかえると、こんな飢えたイナゴの群れのようなありさまになってしまうのだ。
ああ。早く先生帰ってきて。
早くいつもの雄太に戻して。

明日がその二週間だ、という日。
紗季は、土曜だったので家にいた。
雄太は、ピザ用チーズ1Kg入りの袋を傍らにおいて、パソコンで何やら文章を書きながら、手を伸ばしてはチーズの塊をがさっとつかみ食べていた。
見ているだけで胸焼けしそうだ。
キーボードには、この二週間でいろんな食材のカスがこびりついている。
紗季は、ベランダで洗濯物を干していた。
その時だ。
雄太が、いきなり苦しみだした。
白目をむいて、うなっている。
チーズが詰まったのか?
「雄太! 雄太! どうしたの?」
紗季が呼びかける声も聞こえていないようだ。
「は・・・」
「え?何?雄太?!」
「腹」
「お腹痛いの?どこ?!」
紗季が必死に呼びかける。
「は……腹へった」
雄太は、それだけ言うと、ばたりと倒れて、いびきをかき始めた。

(どういうこと? あんなに食べてたのに?
ううん、それより、救急車呼ばなきゃ、携帯どこ?)
紗季は震える手で、バッグの中の携帯を探した。
その時、雄太の携帯が鳴った。
見ると「●×大学▽▽教授」と表示されている。
(もしかして、この人なの?!)
紗季は慌てて電話をとった。

「もしもしっ?!」
「ああ、わたくし●×大学の……」
「あの、雄太に催眠をかけた先生ですかっ?」
「あ。ええ、はい」
「雄太、今、倒れちゃったんです!腹減った、って言って。この2週間、異様なくらい食べてたのに」
「ああ。あの、昼夜逆転の彼ですね」
「そうです。先生、どうしたらいいんですか?救急車呼んだ方がいいの?」
「その必要はありません。彼には、仮の催眠しかかけてませんので」
「どういうことです?」
「二週間で催眠状態が解除されるようにかけたんです」
「なんでそんなことを?!」
紗季は悲鳴のように叫んだ。

「あのね。人の欲求って、個人個人でその質も量も違うものなんですよ。雄太さんの場合、睡眠欲が桁外れでしてね。言ったら、『1:1:10』くらいの感じでした。これ、いじったら、とんでもないことになるだろうなって思ったんです」
「じゃあ、なんでそんな人に、害にしかならない催眠をかけたんです?」
「だって、あなたが、雄太さんの昼夜逆転を嫌ったんでしょう? 昼間起きていていほしかったんでしょう? あんなにものすごい睡眠欲を持った人を、矯正したらどうなるか、その目で見てもらった方が早いと思って」
「……」
「どう思いました?」
「昼間寝ててもいいから、いつもの穏やかな雄太がいいです。先生、お願い雄太を戻してください」
紗季は我知らず、嗚咽していた。

「さっき言ったでしょ?もう解除できてます。ただ、今まで食欲に振り分けることで、セーブしていた睡眠欲が、一気に戻ってきたわけですから、反動で、ここからどらくらい眠るのかは、何とも言えないですねえ」
「え?」
「もしかしたら10年くらい起きないかもしれないですし」
「えええっ?!」
「ま、とりあえず、今すぐ命に別状はないですから」
そう言って、電話は切れた。

それから5日、雄太はまだ起きない。
時折幸せそうに、微笑みながらすやすや眠っている。
もう、生きててくれるならそれだけでいい。
紗季はそう思いながら会社を往復し、ひたすら雄太の世話をした。

雄太と、教授に化けた雄太の友達の芝居は、うまくいったようだ。
あとは起きるタイミングだけである。

<おわり>

**連続投稿311日目**

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。 サポートは、お年玉みたいなものだと思ってますので、甘やかさず、年一くらいにしておいてください。精進します。