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天狗党聖地巡礼・蠅帽子峠への道④

前回までのお話はこちら。
日頃まったく運動しない57歳が、幕末に水戸天狗党が越えた、美濃越前国境の蠅帽子峠に上って降りてくるまでのお話です。長い。

峠で驚いた話をもう一つ

炭水化物も補給したし、もう16時だし、いくら夏至だと言っても19時過ぎたら暗くなるだろう。
早めに下りないとまずいよね、と言うことで、下山を開始することになった。
米山君の読みでは、下山は20時ごろ、あたりは真っ暗だろうとのことだった。
2人は万が一に備えてヘッドライトを持参しているが、私は持っていない。

私はこの時、せっかく登ったのに降りるのかという、残念な気持ちと、これ以上、このヘロヘロの体で暗い山を歩いたら、どこかで遭難するかもしれないという気持ちがごちゃまぜな、つまり弱気になっており、
「降りたくない。ここで一泊したい」
と言ってみたのだった。

すると、2人は
「ツェルトあるよ」
「鍋あるよ」
「じゃ、俺ひとっ走り山を下りてラーメンでも買ってくるわ」
と、私の無茶ぶりに応えてくれそうな勢いだった。

ええええええ?!
ラーメン?!
ここまで、もう一往復して、ラーメン?!
どんだけ超人なのですか?!


2人にとっては、お散歩のような、登山とも言えない登山だったのに、素人の私のためにツェルト(身動きがとれない緊急時に被ったり、テントのような室内空間を作ることも可能な頼もしい道具)やら何やら用意してくれていただけでも、ありがた申し訳ないのに、この上、パシリまでさせられない。
ここは、気力の限り頑張らないと。

そこで、ようやく覚悟を決めて歩いて降りることにしたのだった。

あわてず、いそげ

来た道を戻るだけだし、帰りは下りだし、そんなに時間がかからないんじゃないかと思っていたが、これまた私の読みは甘すぎた。
下りと言ってもアップダウンはあるし、来た時よりもHP残量は減っている。

「まあ、ヒノキ乗越までの難所さえ、明るいうちに越えられれば、帰れるから、慌てずに急げばいいよ」
と言われ、そんなもんかと思いながら、よたよた歩いてついていった。
米山君は、登りよりもかなり慎重に、私を見失わない距離を保ってくれていた。

「登りは、一番高い尾根を歩けばいいから迷わないけど、下りは尾根がいくつも分岐していて、どれだかわからなくなって迷いやすい」
とのこと。
なるほど、それで、時々、ヨーデルを歌ったり、「ホー!」と声をかけたりして、先を歩くまっちゃんさんと位置を確認し合いながら歩いていたのか。

上は、帰宅してからGoogleMapで見てみた蠅帽子峠と、そこに至る尾根道である。(黄色が今回歩いた廃登山道)
確かに、尾根がいくつも分岐しているのがわかる。
トラップだらけだ。

地図が読めない私は、こんな複雑なルートを帰れるだけでも尊敬してしまうのに、このあと、もっとすごい能力を目の当たりにするのである。

暗闇がおりてくる

下りの道は、自分に感動しながら歩いていた。
「よくこんな急なところを登ったなあ、すごいぞ、自分!」
と褒め讃えながら降りていたのである。
それくらいすごいところだった。
段差を立ったまま歩いて降りることができなくて、座ってお尻で滑りながら降りたし、5m先を歩いているまっちゃんさんが、私の靴より低いところにいたりした。
これはもう、崖である。
木が生えていなければ、滑り降りた方が早い。

とにかく疲れはてて、足も惰性で動いているようだったが、ふしぎと
「もう嫌だ」
とか
「これ以上無理」
とかは思わなかった。
とにかく歩いて帰らなくては、ここでは自分の体だけが頼り、泣こうがどうしようが、誰にも助けてもらえないのだ。
案外、根性がある自分に驚いた。

しかし、根性ではどうにもならないのが自然現象。
もともと日照時間が短い、細い谷間の土地である。
根尾西谷川の対岸の山にお日様が沈むと、徐々に暗くなってきた。

「夜目が利く間は、ライトをつけないほうがいい」
と言われ、うすぼんやりと見える踏み跡をたどる。
そのうち、足元すら見えなくなってきた。

最初は、スマホにモバイルバッテリーをつなぎ、ライトをつけて歩いていたのだが、ウエストポーチの中で何かに触れるたび、すぐに消えてしまうので、まっちゃんさんが、自分のヘッドライトを貸してくれた。
見えるのは、せいぜい10m先くらいまでだったろうか。
2人は何を頼りに歩いているのか、まったくわからない。
それでも正しいルートを歩いているようで、時々、枝に結ばれたピンクテープが見つかる。
ルートの目印だ。
すごい。
なぜわかるんだろう?

冷水で足が棒になる

なんとかかんとか、元の乳くれ地蔵様の前まで降りてくる。
ここで、靴を履き替え川を渡るのだ。
一度座ったら二度と立ち上がれないような気がしたが、これを渡れば人間の世界に帰れる、という気持ちでシューズを履き替える。

下の写真は、なんだかわからないと思うが、夜の川である。
座って撮ったので水面が近い。
流れが速いので蛍もいない。
ただひたすら暗いだけの、ごうごういう水である。

疲れた足を冷やせるので、気持ちよいかと思ったが、実際は、冷えたらますます足が動かなくなった。
自分の体というより、ただのコントロール不能な棒が骨盤の下についているようで、足の表側も裏側も内側も外側も、すべての筋肉が痛いのだが、痛い以外の感覚が、よくわからなくなった。
足が動いているのかどうなのかも把握できず、それでも車を止めたところまで、のたのたと戻る。
平地で歩きやすいはずなのに、とんでもなく遅い。

2人をさんざんお待たせして追い付くと、さらなるトラブルが待っていた。

樽見でもう一泊

帰りのバイクの運転は無理だろうと思い、米山君に宿まで乗っていってもらうつもりだったのだが、なんと、最悪のタイミングで始動スイッチが動かなくなってしまったのである。

夜中の8時。
周りに人家無し。
当然、灯りもなし。
携帯の電波は、30分先の集落まで入らない。

ここで、私にできることはない。
さっさと諦めて、バイクを放置し、宿までまっちゃんさんの車に乗せてもらうことにした。

問題は、宿である。
2泊する予定はなかったので、予約していない。
車で走り、ようやく携帯電話の電波がつながったところで電話を入れると、宿のご主人は快く迎え入れてくださった。
もう、何回でも宣伝しちゃう。
こちらの旅館「住吉屋」さんだ。
宇野千代先生の常宿だったという由緒ある宿である。

「3階の部屋しか開いていない」
というのを、
「全身筋肉痛で階段が登れる気がしない、できれば下の方に」
とお願いして、2階にしてもらった。

宿の前で、米山君、まっちゃんさんと別れる。
2人がいなければ、絶対たどり着けなかった場所なので、本当に感謝しかなく、思わず、まっちゃんさんに握手を求めてしまった。

宿の夜は、あまりの痛みに寝返りが打てず、全く眠った気がしないうちに朝になった。
素泊まりなので朝ごはんは出ない。
お腹がすいたが、近所のスーパーまで歩く気力もない。
その時思いだしたのが、蠅帽子峠で米山君にもらった桜餅と甘納豆だった。

何とかリュックを手繰り寄せ、水と桜餅と甘納豆を取り出す。
お行儀悪いけれど、ベッドで寝たまま、桜餅と甘納豆を食べた。
滲みる。
泣ける。
世界で一番おいしいスイーツだ。

甘味の威力はすごい。
まったくゆかりのない土地に一人で動けず不安で、おまけに睡眠不足で朦朧としていた頭が晴れていく。
次に何をしたらいいかを考えられる。

ようやく人心地着いた私は、保険屋さんに連絡して、バイクのレッカー移動をお願いしたのだった。

天狗党の怨念と私の執念がこもって、つい長くなってしまったが、蠅帽子峠に連れて行ってもらった話は、これでおしまい。
長々とお付き合い、ありがとうございました。

**連続投稿146日目**

その後、バイクを運んでもらったお話はこちらに。


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