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幻のサカナイト

大学時代は、鉱物学を専攻していた。

北海道の真ん中を南北に走る日高山脈・石狩山地・北見山脈。
これらは元々、東西別々に離れてあった陸が、プレートの移動で、ガッシャーンとくっついてそのまま付加体と呼ばれる海底の堆積物ごと盛り上がったところだ。
だから、古い化石もよく出るし、海底の熱水鉱床だったものが地表に出てきた小さな鉱山も、昔はたくさんあった。

私の卒論は、北海道の真ん中の廃鉱になった小さなマンガン鉱山が舞台。
そこに産出するマンガン鉱物からその生成過程が解き明かせるといいねえ、まあ、何か見つかればラッキー、でもさほど期待はしてないから大丈夫だよ、という感じのテーマであった。

同期の岩石学や鉱床学を学んでいた人たちは、熊の出る山奥を何週間もかけて歩き回って石を割り、それらを拾い集めて卒論を書いていたので、それに比べたら楽なものだったと思う。
何しろ私たちは、廃鉱に行ってズリ山(目的の鉱物が含まれていない不要な石を捨てたところ)をあさり、多少なりともマンガン鉱物が含まれている石を拾って帰ってくれば、あとは研究室で作業できる。
フィールドワークは数日で済む。

ところが、人が通わなくなって何十年もたった小さな鉱山跡は、地図を頼りに行ってみたところで、すでに坑道は落ち、入り口もわからず、ズリ山は草木がぼうぼうに茂っているので、「本当にここに鉱山があったの?!」レベルで見当もつかない。
昭和10年代に書かれたざっくりした論文を頼りに、人里離れた山奥までヒッチハイクで出かけるのだが、コンビニもなかった時代のこと(今だって、きっとあの辺にはないと思うけど)、空腹と心細さとクマへの恐怖で、ズリ山探しどころではない。
暗くなる空を見ながら、それらしき石を当てずっぽうに拾いまくる、ということを3回繰り返し、ようやっとラッキーで一つだけ、黒紫のマンガン鉱物たっぷりの石を見つけたのだった。

当時、我ら鉱物学講座のボスは、あと数年で退官を迎えるというお歳であった。
学部から生え抜きの院生たちは、「ボスの最後に花を飾ろう」と新鉱物発見に燃えていたようだ。
花でも虫でも星でも鉱物でも、第一発見者にその命名権が与えられる。
ボスは、北海道の主なマンガン鉱山を調べ上げ、「本邦初」となる鉱物をたくさん見つけてはいたが、新鉱物の発見はなかった。(真実はちょっとわからない。もしかすると見つけていたのかもしれないけれど、若き日のボスは手柄を当時の教授に譲ったのかもしれない)

そんなわけで、院生の皆さんは「新鉱物にボスの名前を冠すること」を使命として、日夜、分析器に張り付いていた。
そんな時、たまたま私が拾ってきたズリ山の石の一部に、妙な結晶構造をもつマンガン鉱物があった。

院生たちは湧き立ち、「分析を急げ」とせっつかれるが、何しろあまり学校に行ってない劣等生だったので、機器の扱いにも不慣れで望む結果がなかなか出ない。

ボスの本名は「針谷宥」。
鉱物名には末尾に「ite(アイト)」をつける決まりだ。
私も院生の熱気に当てられ、これが新鉱物だったら、ボスの名前をつけるんだよな、姓から取るのかな、それとも名から取るのかな、と考えた。
そして、もし私がつけてもいいなら、絶対「サカナイト」だと思っていた。
ボスの名前「宥(ゆう)」をずっと、酒の肴の「さかな」だと思っていたのだ。

子供にそんな変な名前つける親がいるか。

結局、私のズリ石に含まれていたのはよくある酸化鉱物で新発見には至らなかった。
卒論を提出しながら、ボスに「サカナイトを見つけられなくてすみません」と言った時、妙に怪訝な顔をされたなと思っていたのだが、卒業してからボスの名前の読み方を知ったのだった。

……というようなことを、このニュースで思い出したので、今日のnoteに記す。

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