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自分に還る時間をささえる「ミシンカフェharihariworks」店長 堀居唯さんインタビュー

敦賀市にあるオトナ女子たちの憩いの場「ミシンカフェharihariworks(ハリハリワークス)」をご存じでしょうか?

たくさんの本格的なミシン、色とりどりの糸、パワフルなスチームアイロンとバキューム機能が付いたアイロン台に広くて使いやすい作業台。
それらが自由に使えて、しかもその使い方まで教えてくれる先生がいて、自分の手でほしいもの、かわいいもの、素敵なものをいくらでも生み出せる場所、それが「ミシンカフェ・ハリハリワークス」です。

お店のコンセプトは「手作りの『もの作り』をもっと気軽で臆することなく挑戦できるものへ」。
この想いは店長の堀居唯さんの心からの願いでもあります。

◆ほしいものは何でも自分で作れるものだと思って育った少女時代


堀居先生は、ディズニーランドがある千葉県浦安市のご出身。小さなころからお母さまが魔法のように何でも手作りするのを見て育ったそうです。

―――例えば、どんなものを手作りされていたのでしょう?

「流行っているものは片端から何でもやるタイプでした。記憶にある最初は籐のかごですね。編み物も棒針、かぎ針、機械編みもやってましたし、本当に何でもござれでした。私が小さい頃は内職でヘアアクセサリーの組み立てもしていましたし、トールペイントもパンフラワーっていう粘土でお花を作ることもしていました。パッチワークやケーキ作り、洋裁も刺繍も上手だったし、お友達に誘われたら何でもやってみる人でしたね。

とにかくものづくりが好きな人で、だからなのか、私も結局は人が作っているんだから、世の中にあるもので作れないものはないんじゃないかと思って育ちました」

―――先生も子どものころからモノ作りが大好きだったのですか?

「好きでした。小学校のクラブも迷わず手芸クラブでしたし友達とお菓子を作るもの好きでした。夏休みの宿題で、自由工作と自由研究とどちらを選ぶかと言われたら迷わず作る方を選ぶくらい好きでした。技術家庭科も図工も好きだったし。

ただ、自分がそれを仕事にして生きていこうとは思っていなかったですね。高校生になって一年生の頃までは獣医になろうと思っていました。でもそれは学力的に無理だって早々に諦めて、じゃあどうしようかと二年生の後半に真剣に進路を考えたんです。その時、自分で服を作れる人になりたいなという気持ちがポロっと湧いてきて。既製服がぴったりくることが少なくて、自分で作れるようになればいいんじゃんと思ったのが最初です」

―――そこからはどんな風に進路を選ばれたのでしょう?

「目指していたのは「服が作れる人」なので、家政科の中でも実習が多くてスキルを磨けるところを選びました。家政学部は家政全般、つまり衣食住と保育まで教える所が多いのですが、私が知りたかったのは「衣」。しかも布から服を作り出すというところを重点的に学びたかったのです。

ですから服飾専門の単科大学を探しました。実家から通えるところでその条件を満たしているのは、杉野服飾大学と文化学園大学の二つがありました。当時は、文化学園の方がキラキラしているイメージでしたね。卒業生に世界的に有名デザイナーが多いんですよ。才能があふれている。

私はそんなところに入っていく勇気もなかったし、杉野の方が競争が少なくてコツコツモノづくりに励むところという校風を感じました。それで、杉野を選びましたが、行ってみたら、やっぱり私にはこっちだったなと思いました」

◆ハリハリワークスが生まれるまで

―――先生は卒業してからずっとこういうお教室をされてきたんですか?

「いえ、紆余曲折ありまして。最初は大学で助手のような仕事をさせていただいていました。杉野の系列でドレスメーカー学院というのがあるんですが、そちらの授業のお手伝いをしたりしていたんです。

そのうちに、上海のお金持ちがドレスメーカー学院の偉い人に『中国の縫製工場で部分縫いだけやっているお針子たちをきちんと育てたい。ミシンが踏めるだけじゃなくて、洋裁の知識を学ばせて、日本語も話せるようにしたい』と相談を持ち掛けまして、じゃあ学校を作りましょうということになったんです。それで、若くて自由に動ける人はいないかということで、私ともう一人の子に白羽の矢が当たりまして、上海に行くことになりました」

―――上海ドレスメーカー学院の創立スタッフに選ばれたんですね。

「そうですね。でもその企画自体は、二、三年ぐらいで暗礁に乗り上げて結局、上海からは撤退したんです。24歳の時に上海に渡って、26で帰国した感じですね。そのあとは大学の教務事務をやったりしていたんですが、結婚して敦賀に来ることになりました」

―――ご主人とは、どういうご縁で?

「上海にいた頃に、日本人会で知り合いました。主人は会社の指示で半年間の語学留学に来ていたんです。付き合うことになって「まあ、日本人だしいいか」って。笑 そうしたら実家の家族も日本人ならいいかと思っていたようです。

距離感がちょっとおかしくなっちゃうんですよね。実際に帰国してみたら千葉と福井って相当な遠距離じゃないですか? しかも関東圏の人間は福井ってどこだかよくわかってないし。でも、上海にいると同じ日本国内だから近い、近いって感じになっちゃって。それで帰国してからも遠距離で付き合って結婚しました」

―――そこからすぐにハリハリワークスを作ったんですか?

「いえ、ハリハリができたのは子どもを二人産んでからです。しばらく市内の中学校で家庭科の非常勤講師や支援員をしていたのですが、あまりにハードで上の子のお世話は主人の実家に頼りっぱなしだったんです。自分で子育てしている実感が持てなくて、これじゃダメだと思ってやめました。

下の子が一歳半の時に主人が「何かお教室をやってみないか?」って声をかけてくれたのがハリハリの始まりです」

―――ご主人の会社がハリハリの母胎だったんですか!?

「そうなんです。株式会社ホーエイって言って、土木関係の仕事をしているんですが、ハリハリはその会社の一事業としてやっているんですよ。だから私は雇われ店長で、ここのオーナーは主人です。

主人はアイデアを思いつくと、すぐに実行したくなるタイプの人で、私も前から『ゆくゆくは自宅で洋裁教室をやりたい』なんて主人に話していたので、この機会を逃したら次はないかもと思って飛びつきました」

◆ハマるとやめられなくなる、もの作りの魅力

―――最初から今のハリハリワークスの「好きな時にきて好きなものを作る」というスタイルだったんですか?

「そうですね。普通の洋裁教室をしようと思っても、おそらくそんなに広がらないだろうとは思いました。敦賀の規模からいっても、時代的にも服を自作したいという人がそれほどいるとも思えなかったし。

その前に、私が敦賀に来て思ったのは大人の習い事が少ないってことでした。大人の、特に女の人の習い事って時間に追われている分、本当にやりたいことをやりたい気持ちが強いと思うんです。少ない自分の時間なんだから「やらねば」と思うことに使うより、その時間を楽しんでほしかったんです。

でも、ここだと何か習おうとしてもスイミングか筋トレかで、それ以外の選択肢があまり用意されていませんでした。そこで、私のようにもの作りが好きな人たちにやりたいことを提供できる場所を作りたいなと思いました。選択肢を増やしたかった。

そんな時にテレビでたまたま世田谷のミシンカフェが紹介されていて、これはいい!とアイデアを頂きました。カリキュラムも設定せず、作りたいものを作れるゆるい場所にしようと決めました」

―――そのコンセプト、とってもありがたかったです。私のように家庭科で裁縫に苦手意識を持って大人になった人からすると、みんなで一斉に同じものを作るというのは、学生時代のトラウマがよみがえるというか。

「そいういう方は多いですね。ミシンに対して恐怖感がある。『私はそんな難しいことはできないから、小物から教えてほしい』とおっしゃるんですが、ものによっては小物の方がはるかにむつかしいこともあります。だから、臆せず気軽に『やってみたい』ことに挑戦してほしいと思います。それをサポートするために私がいるわけですし」

―――本当にありがたいです。ところで、これまでハリハリワークスの生徒さんが作られたもので一番びっくりしたものって何ですか?

「びっくりしたもの? ああ、あれですね。ディズニー映画の「ノートルダムの鐘」に出てくる踊り子エスメラルダの衣装です」

―――それは、コスプレイヤーさんが?

「いえ、普通のOLさん。ディズニーランドって、普段は仮装して入場できないんですが、ハロウィーンの期間だけは仮装して入場できるんです。もちろんディズニーキャラクターの仮装に限定してますけれど。で、その方は、エスメラルダの衣装を作りたいと言われたんですが、仕事もあるのでそんなには通えないから、来年のための衣装を毎月一回通って作ると言われて」

―――ずいぶんな長期計画ですね。でも、ディズニーキャラクターの衣装の型紙って売ってるんですか? それとも、先生が型紙から起こした?

「いえ、私がそれをするとほかのことが何もできなくなってしまうので、しないことにしているんです。何より、アニメの感じをリアルの世界に再現するのってむつかしいんですよ。

私がその方にお願いしたのは、エスメラルダの衣装に近いと思うものを探してきてくださいということでした。今、世の中にあるものを組み合わせて衣装を作ろうとしたんです。こことここは、この型紙が使えそう、こっちはあの型紙を使おうっていう感じで、図書館にあるウエディングドレスの本とか、コスプレイヤー御用達の本とかを探して近いと思うものを集めてもらいました。

私は既存の型紙をその人にあわせて直すとか、どうアレンジしたら作りたいものに近づくかを考えることはできますので、そのアイデアのもとになるものを出してほしかったんです。最終的には、エスメラルダの衣装が完成して大満足でディズニーランドから写真を撮って送ってくださいました」

―――それは嬉しかったでしょうね。

「そうですね。それを近くでずっと見てきた私もうれしかったですし、作りたいものを自分で作れたっていうのはその方の自信にも喜びにもなったと思います。『この日にこれが着たいから作る』っていうのは、作っている間も楽しいですし、試行錯誤して工夫して、それがうまくいった時の喜びもありますしね。ものづくりって、こういうことだったなあと思い出させてもらったいい経験でした」

―――先生ご自身がモノ作りがあって救われたと思われたことはありますか?

「やはり、忙しい中でも、わが子の入園入学のために頑張ってグッズを作ったりしたのは本当にストレス発散になりましたね。 自分の時間が持てる、やりたい事ができる、というのが私にとってはプラスに働くので、そのあと子育てや家事も頑張ろうって思えるんです。自分の時間を作るべく、家事育児も要領良くやろう、省けるところは省こうってやりくりするようになり、メリハリが出るというか。
手作業が苦手、嫌いという人にとってはストレスでしかないのかもしれませんが… 。
なので、もの作りや手作業に救われるというよりは、ママにも自分が好きな事に没頭できる時間を持ってもらえると良いのかなと思います。 スポーツでも良いし、ネルイケアとか美容でも。お料理でも釣りとか本当になんでも良い。好きな事。
で、好きなことを優先する自分を少しだけ許してあげるというか。 家族もそれを許してあげられると一番良いですよね」

―――本当にその通りだと思います。最後に先生が思う、ものづくりの喜びってどんなことだと思いますか?

「没頭でしょうか。ハリハリで手作りの単発講習なんかをするとお母さん方がよく言われるのが『疲れたけど楽しかった。久しぶりに子どものこともなにもかも忘れて集中して自分の時間が持てた』っていうことなんですね。自分に没頭するって子育て中はなかなかできる機会がないじゃないですか。とても大事な時間だと思っています。その上できあがったものを見たら「わあ、かわいい! こんなかわいいものを作った私すごい!」と思えるんだから、これほど素敵なことはないと思います。

ハンドメイドは奥深くて、私もまだやったことがないことがたくさんあるんです。だから、私もあれこれやってみて世界を広げているところなんです。ハリハリに来てくださる方が、どれでもいいから何か好きなことを見つけて挑戦し、ああ楽しかったと心から思える経験をしてほしいなと思います」

―――ありがとうございました。

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ハリハリワークスでものづくりを体験してみたい方は、③のホームページをご覧ください。初めての人のもの作りを後押しする「ちょこっとスクール」を開催しています。

①街角探検隊 ハリハリワークス マスクの作り方動画(型紙付き)
https://www.rcn.ne.jp/tanken/culture-lesson/hari-hari-works.html


②福井新聞日曜版ふーぽ 手縫いでできるハンカチマスクの作り方
https://fupo.jp/article/handkerchief-mask/


③ハリハリワークスホームページ
https://www.harihariworks.jp/


④youtube チャネル ハリハリTV 手提げバッグ
https://youtube.com/channel/UCqLtH_Pi_GojdVoRNJVb5gA


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