母の命日とそれに付随する日記のようなもの

母が亡くなって今日で丸9年になる。長らく介護を続けたせいもあり、終わったときには果てしない徒労感が鉛のようにずっしりと心にのしかかり、しばらく元の生活に戻れなかったのを思い出す。そして遅ればせながらやってきた一人暮らしと、ひらべったくどこまでも続いていく一人暮らしという白紙のような退屈さ。一人っ子なので孤独感には慣れっこであり、わりとのびのびと暮らしてはいるものの、一年に一度の命日となると、母と二人で暮らしていた日々のことを振り返ってしまう。9年も過ぎれば、当初抱いていた喪失感はミロのビーナスの両腕のように、最初からそのままだったという風に欠落がスタンダードだと錯覚しがちになるのだが、それでも母と僕の寄る辺ない二人の人生は、僕の半生に確実に存在していたのだ。

筆を取ろうと思った意味は自分でもよくわからない。今日が命日だから、という単純な理由でもいいわけだが、言語化するのはやはり何かしらの理由は存在するわけで、それは承認欲求とは無縁ではいられない代物だ。しかしながら今更亡くなった人のことを書くことで一体なにが満たされるというのだろう。あるとするならこうして言葉として残すことで、身寄りのない母の生きた人生がどうだったのか。そして僕との関わりが如何様なものであったかを示すという記録としての意味合いのほうが強いのかもしれない。僕にとってのnoteはTwitterでは書ききれない駄文の置き場としてしか意味はなく、だからこそたまにはこうした個人的な吐露に紙幅を割くのも悪くはないだろう。思い出というには薄暗く、警句になるような事柄もない。これは自身の半生の振り返りであり、そして残りの半生を歩むための再確認に過ぎないと思う。

そう書いておきながら、家族と言えど人についてあれこれと語るのは苦手なため、やはり自分の幼少期のころから母との関わりを中心に順を追って話をするのがいいかもしれない。ここから先は特定を避けるために多少のフェイクはいれるものの、プライベートの領域へと踏み入るため、心苦しいが有料noteで勘弁願いたい。読んで得られるような斬新な知見があるわけではなく、また心を震わせるようなわかりやすいエピソードもない。話もほとんどが飛び飛びで、大半は単なる振り返りと母の自慢になるのかもしれない。こうした予防線を張るほどには、やはりこうしたことを書くことに対して気恥ずかしさもあり、有料にすることで読まれるアテがないかもしれないという、現実的な楔を打っておきたい。普段の共有したい感想文の羅列とは違い、極個人的な物語だからこそ、読む人を選ぶ我儘を許して欲しい。それでもよく、また多少の金を払ってでもこの先を読みたい奇特な好奇心を持つ人は、自分語りに少しばかり付き合ってくれるとありがたい。


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