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未来の学校を考える-Vol.2
学校という場でお仕事をさせて頂くようになって10年以上になろうとしています。
公立、私立を問わず、様々な場でお話をさせて頂く機会を頂戴し、今に至っておりますが、大手進学塾に勤務していた頃のことを思い出し、この記事を書こうと思いました。
当時、大手進学塾の経営企画室に所属し、毎週月曜日に本社研修というものがあり、社長の講話を聴く時間がありました。個人的にはこの時間がとても好きで、社長がどのような考えを持っていて、どんな課題観を抱えているのかがダイレクトに伝わってくることがとても興味深く、人柄まで伝わってくるその講話に何度も心を動かされました。
そこで考えさせられたエピソードは数多くありますが、ディテールについてはいずれ触れさせて頂くとして、その研修そのものが未来の学校を考える上での大きなヒントになるのではないか、と感じるのです。
キーワードは「心理的感染効果」
自分の心理状態が相手に感染し影響を与えることを指していますが、社長の思いを率直に語って頂き、それを聞くという行為そのものを切り取って、単なる情報の伝達と割り切って「知識的な情報」と捉えたなら、それほど高度な情報ではなかったかも知れません。しかし、そこに経営者としてのこだわり、信念、迷いなどの「主観的な情報」が合わさっていった時、その思いに共感したり、時に反発心を抱きながらも心が動かされて、その土俵に乗って考えようとしている自分がいたのです。
そうやって、感情が動かされて思考した時間というのはより記憶に残るもので、すでに15年近く前のことですが今でも多くのエピソードを鮮明に覚えていますし、当時の社長のマネをして話せと言われたら恐らくデフォルメをした状態であれば話せるのではないかなと思います。
モノマネができることが素晴らしいというのではありません(笑)
それほど記憶に残っている、そして今でもそこで考え始めたことを軸に物事を考えているという現実が、今になって、あの時の研修は大きな学びであったと思わせてくれるのです。
さて、
学びとは知識を得るという行為だけではなく、自分自身が生きていくための力や知恵を養い、その使い方を見い出すこと、であろうと思います。
そして単なる知識や既知のアイデアであれば現在では本でも動画でも得ることは可能ですが、大切なことはその使い方を学ぶことにあるはずです。
そこにこそ学校で学ぶ意義がある。
教師が自分の言葉で生徒に伝えることは、何も知識だけではありません。
学ぶことの楽しさ、ワクワク感も一緒に乗せて、教師とはこう教えるべきなどという凝り固まった殻を破った姿と共にチャレンジしようという姿勢にこそ、生徒は心を動かされ、やってみたいと思えるのではないでしょうか。
そんな風に、同じ空間を共有し、「あなたに伝えているんだ」というメッセージが直接伝わる状況であればあるほど、その心理的感染効果は強くなり、その学びを通じて生徒を巻き込んでいきます。だからこそ、生徒に向ける目線の使い方は大事だし、声の表情も重要なのですが、それ以上に大切なことは「自分の言葉で伝えること」なんだとつくづく思います。
けれど、これが意外と難しい。
どうしても教師という殻に篭ってしまう。
そんな時に、当時の社長の言葉は響いてきたのか、と振り返ると、そこには情熱が乗っていたからだと思っています。単にビジネスとしての関心以上に「こうあって欲しい」という願いにも似たメッセージがあった。
それが重いと感じるケースもあるとは思いますが、人の心を動かすというのは得てしてそういうもので、知識や知恵を与えるだけでなく、その使い方を学ぶという意味もそこにあると思うのです。
それは何のために学ぶのか、というだけでなく、何のために行使するのか、という部分も含みます。これはとても思想的な話に聞こえますが、重要なことで偏った思想論ではなく、どれほど素晴らしく、有用な知恵でも、その使い方を誤れば凶器に変わり、正しく使えば社会の発展に寄与することができるという側面があるからです。いかにして継承された知識や知恵を使うべきか、という教育は道徳の中だけで行なえば良いのではなく、知識や知恵を授ける者の責任でもあるのではないでしょうか。
過去の戦時教育はそれを戦争に駆り立てるために行使した訳ですが、未来の学校は持続可能な社会を形成、発展させていく人材を育てるために学校という場を使っていきたいですね。
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