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賢い子どもに育てるなら幅広い経験を

運動と脳の発達

私が学校で生徒の課題研究の指導をしている中で、これまで何名かの生徒が運動と学力に関する関係をテーマにして取り組んできました。残念ながら普通の高校ですので脳科学的な調査は難しいのですが、一定以上の心拍数になる運動を一定の期間継続した場合に、その際の心拍数と定期試験のスコアの上昇率に関係が見られたりなど、それなりに面白い分野だなと感じるようになりました。

実際の研究でも、習慣的運動による体力の向上が、学力と密接に関わる高次認知機能を改善させるという研究が多く見られ、運動するということが脳の発達や認知機能の回復・向上などに何らかの影響を与えるということは確かのようです。

そのメカニズムについては私はその分野の素人なので、生徒と共に探究する程度にしか分かりませんが、運動することで血流が促進されたり、身体を動かす際の神経伝達系の刺激によって、脳が活性化されたりという可能性があるのだろうという仮説を立てて掘り下げてみたいな、と考えています。

ただ、論文でも「習慣的運動は子供の脳の発達を促す」という成果が発表されていますし、特に子どもが小さいほど、お勉強ではなく運動などを通じて手足の先まで神経が行き届くような習慣を作り、高次認知機能を高めておくと、その後の勉強に対する学習効果も向上するのではないか、とも思いますのでいずれ調査・検証ができたら良いなと考えています。

脳を発達させる要素

そういった話は一般的にも広まりつつあり、運動は確かに脳を発達させるという効果がありそうだ、ということは共通理解となってきているようですが、運動はあくまでの脳を発達させる要因の1つに過ぎないと考えています。

音楽を聴くことや、絵を描くという行為も一般的に右脳が鍛えられると言われていますし、その他の趣味に興じる時間も、脳が活性化しているのなら無駄にはならないのだろうと思うからです。

ですので、受験勉強をさせるために他のことを一切やらせないで、受験勉強漬けにするというのは、脳の一部分だけを鍛えることにはなるのでしょうが、脳全体の発達という観点ではもったいないことで、個人的な仮説としては右脳でイメージすれば簡単に理解できるものが、左脳でしか考える経験をしていないために理解が進みにくくなってしまう、という現象も起こる気がするのです。

大人になってから昔理解できなかった内容について、「ああ、そういうことか」と理解できるようになったりするのは、成長の過程において様々な考え方、経験によって物事の捉え方が当時に比べて多角的になったためではないかと思います。

ただひたすらに解法や知識の暗記をする学習をさせ詰め込むだけでは1を教えても1の理解にしかならないものが、物事を様々な角度で見ることができる脳の下地を整えておくと、1を教えただけで多くの理解をしていけるようになるというのは当たり前の理屈のように感じます。

勉強だけない幅広い経験をさせよう

なので、本気で学力を向上させたいと願うのなら、勉強以外の経験も幅広くできる環境を作ることが結果として、学習内容の理解の幅を広げ、自身の経験と結びつけることで興味関心を持ち、自分で学ぼうとする意欲も向上する可能性も高くなるので、受験勉強漬けにするよりも成果が挙がるのだろうと考えられます。

家庭においても小さい頃から、興味を持ったことについて徹底して探究させた経験をさせておくことが、こうした脳の下地作りに役立つのだろうと思います。

そんな仮説を持っていたので、自分の子どもにもアンパンマン、プリキュア、仮面ライダー、サッカー、スマホの音ゲーに至るまで、興味を持てば一緒になってオタクになったものです。

当初はアンパンマンの図鑑を開いてはこれを描いてくれ、と指差しで要求されるままにイラストを描き続け、何度も心が折れそうになりましたが(笑)、その内、そこに書かれている感じを読めるようになりたいという動機から漢字ドリルをやりたいと言い出した時に、色々と繋がり出した手応えを感じました。その後、一緒に外を歩いていたら選挙のポスターの字が読めるようになったということに喜びを見出し、一緒に読みながら歩いたのは(親にとっては)良い思い出になっています。(悲しいかな、子どもは覚えていないので・・・)

ただ、そのおかげもあって、点数的な意味での偏差値はこれからのことだと思いますが、親の欲目というフィルターも手伝って、なかなか頭の回る子に仕上がってきたなと感じています。

受験的な成果はそもそもそこまで意識していないので、将来、「コイツはなかなか切れ者だな」という活躍ができる頭の良さを身につけてくれたら良いかなと考えていますし、それが結果として自分の意志で様々なことを吸収し始めたときに本当の意味で学力向上をしていくと思っています。

学びの場を面白くしよう

家庭教育では色々できる手応えを感じていますが、あとは学校です。

まだまだ学力向上のために詰め込みを強化しようという考えが支配している印象です。

もちろん、一定の筋トレをしなければ、基礎体力がつかないという意味で、暗記や反復をさせることは必要だと考えていますが、それだけでは多くの事を吸収することができる脳の下地作りという観点でマイナスである、という考え方が共有できるようになれば良いな、と感じています。

別に特殊なことをしなくても、授業の中で単なる教科書に載っている知識を整然と語るだけでなく、もっと横道に逸れたエピソードを交えて教科書の中だけでは分からない事柄をせめて話の中だけでも良いから聞かせて生徒の脳内の世界を広げてやろう、という意識を持つだけでも良いかも知れません。

要は教師が学びの場をもっと面白くするための工夫をし、生徒が学ぶ意味を考えるきっかけを散りばめようとする意識を持つことで、興味や疑問を持った生徒が自分で動き出したり、チャレンジしようとする機運が生まれ、様々な経験を支援、見守りながら生徒の脳の下地づくりを促進するという循環ができたら理想的だな、と考えています。

ただ、そうした環境づくりというのは経済効率で見ると非効率的で、教員のゆとりを生み出したり、生徒がチャレンジできる場や時間を整備したりする必要性もあるため、学校を挙げてやり切ろうとする意志と投資が不可欠です。

現実的にはそこに壁があって、個人の枠を超えた取り組みにできないという学校が多いのが残念ですが、2022年度の高校新課程で総合的な探究の時間が必修になったように、少しずつ学ぶ意味が変化していくことで、未来には指導要領から学びに対する考え方そのものが変わってくれるということを期待したいと思います。

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