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正直を積み重ねる

前々々回書いた投稿(前前前世みたいになった…)の、続きのような話を書こうと思います。

この記事を書いた後に読んだ、最果タヒさんのエッセイ集『コンプレックスプリズム』大和書房(文庫版)。最果タヒさんは、好きな俳優さんが”好きな詩人”としてラジオで紹介されていたり、SNSでもその作品を見ることがあったりして気にはなりつつ、難解なイメージがあって、これまで詩集やエッセイを手に取ることはなかった。この本は、私が選書を担当している書店「ポトラ」で販売していた本で、何度か面陳(本の表紙が見えるように陳列すること)したり、棚に直したりして手にとっていたし、そもそも自分で選書しているのだからその存在も知っていた。誰かの琴線に触れることがありそうだ、と思って選んでいるが、仕入れてからもう半年近く経つ今になって、私がその”誰か”になることになった。

まだ最果タヒさんの詩についてはちゃんと向き合って読んだことがないので、あくまでエッセイ、のなかでもこの一冊について、にはなるが、難解だと思っていたのは、端的に、わかりやすく、起承転結に沿って、というようなルールが、最果さんの文章の中には存在しないからかもしれない。時に血がどくどくと流れつたうように激しく、また時には湿った吐息がじっとり漂うようような静けさもあり、まるで文章が獣のようだった。

一度読んだ本を読み返すことはあまりない自分だが、この本はまたきっと読み直すことになると思う。その中でも、「結論至上主義破壊協奏曲」という一編が、まさに先日「特別になろうとすることを辞めてみる」に書いたことの続きのような示唆を与えてくれた。

一部を引用する。

キテレツなことをするのは結果でしかなくて、それをキテレツだと思うのは、結果しか見ていないからだ。すべてを0から考えた時に、「普通」とされる選択肢を必ずとると思う方がおかしく、自分でこれは違う、これは合っていると判断した結果、他の人からすると「なんでそんな?」という行動に出る人はとても正直で、その人がその人であることを証明している。

『コンプレックスプリズム』最果タヒ(大和書房 2023)「結論至上主義破壊協奏曲」P162-163

ここでいう”キテレツ”とは、まさに”特別”みたいなことだと思う。”特別”は、自分の頭で吟味し選択するという”正直”を積み重ねることで生まれる「結果」である。そう考えると確かに、私が憧れる人たちは、みんな共通して、自分に正直に生きているように思う。正直である、ただそれだけ。ただそれだけを続けることが、いかに大変で、面倒くさくて、他人の評価や嘲笑を気にしていたらやっていられないことか。今まで私は、結果ばかりを気にして正直を選べなかった経験もあるし、それどころか正直である他人を嘲笑していた自覚もあって、恥ずかしい。

「正直にいよう」なんて、たぶん小学校の道徳でも散々習ってきたような、生きる上での基本中の基本だ。そんなこと、なんの発見でもない。けれど、教科書に書いてある「正直にいよう」と、人生30年目にして気づく「正直であろう」の重みは全く違う。

正直を積み重ねることを、改めて始めたい。


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