デケぇ声を出す理由

新しい仕事がはじまった。学童の補助員です。わたし、もともと児童館通いの子だったので、こんな感じだろうなーというイメージは持ちつつ、ちょっと緊張しながら、ワクワクもしながら向かった。

いまはこどもたちが密集しないよう、急遽部屋を2つに分けているとのことで、わたしはたまたま2年生のコたちが15名くらいいる部屋で過ごした。とにかく元気な男子たち、ひとりで読書をする女子、ちょっと浮いちゃってる男子、油性ペンでねりけしを色づけて遊ぶ女子グループ、黙って算数のプリントをこなす女子。みんなそれぞれ。やたらからんでくれる男子たちもいれば、新参者のわたしを一定時間横目で観察して、突然ガバっと抱きついてくる女子もいた。みんなそれぞれに、それぞれの時間や関わり方。それにしても、若いコってのは他者を受け入れるスピードが速い人ばかりでいつも驚く。いっしょにいる=いっしょにあそぶ、という方程式で生きているってことなのかもしれない。「他者」はつねに「あそぶ相手」としてそこにいるって感じがする。そんな風に周りの人をみているから、変な言い方だけど「とりあえずは誰でもおっけー」って言う、独特のオープンさが子どもにはある。もちろん、その方程式に当てはまらない場合には別の式を使う知恵も持ち合わせている。この人とはこういう風に関わった方がいいとか、その人なりに判断するんだと思う。にしてもだ。「まずは誰でもおっけーよ」っていうあの感じは、すばらしいなといつも思う。

現場には複数のスタッフがいた。その人たちも、それぞれにこどもたちと過ごしている。初めてそういう場に大人の自分として過ごしてみて印象に残ったのは、大人の声がとにかくデカいことだった笑。わたしはそれに圧されてしまった。そして、やたらに強い口調の指示ばかりの人もいた。小学校低学年だから仕方ないんだ、というセリフも理解はできるけど、にしても多くない?と思った。

外であそぶ時間が終わって、さぁ部屋に戻るよーというときに、「ほら早く!戻って!」みたいな言い方がバンバンとぶ。部屋に戻ってほしいのは大人の都合なので、こどもからしたら「は?」って感じだろうなぁ。少なくともわたしだったら遊んでるときにいきなり戻れと言われたら、まだ遊びたい、当然。そういう気持ちの人に戻ってもらおうとするには、それ相応の、相手が納得いく言葉と態度で接したほうがいいよなぁと思う。ちなみにわたしは「お楽しみのところ申し訳ないんだけど、片付けてもらっていいですか?」とお願いした。自分だったら、せめてそういう風にお願いされないと、協力する気にはならない笑。
大きい声を出したり、威圧感を出したり、それしちゃダメってやたらめったら言うとか、そういう接し方って、やっぱり好きじゃないなぁ、わたしは。「言うこと聞かせたい」っていう大人の気持ちって、どこから来てどこに向かってるんだろう。

これは、子育てをしたことがないわたしの言い分なのかもしれない。自分が子育てをしていけば、こんなこと言ってる余裕もなくなるかもしれない。でも、いまの自分はそういう余裕があるんだから、してもいいし、言ってもいいんだと思っている。そうできるうちはそうしていたい。そしてできれば、そこは変えたくない。できるだけ。
だって自分がそうされたらやだもん。めんどくさいからってデカい声で命令しないでよ。ていねいに伝えようとしてくれたら、ちゃんと聞くって。なめんなよ。とわたしなら思う。

フォローするつもりでもなんでもないけれど、「こういうのはいやだな」ということをしている人がいるっていうのは、ありがたい。自分は逆サイドに走らなきゃいけないとすぐわかるから。どっちが正しいかは、あんまり関係ない。自分どうしたいかがわかれば。
結局、いろんな人がいて、その中でバランスが保てればそれでいいじゃんって思います。

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