これがわたしのーいきるみちー

わたしが探しているのは、
本当にさがしているのは、
目的地じゃなくて、道なんじゃないだろうか。

そう、ふと思った。

ここ最近、じぶんは生きている間に何がしたいんだろうと、けっこうたくさん考えていた。「わかんない、それがわかんないだよな〜」と、思っていた。
親と、仕事の話とか、生活していくこと、そういうことを話す機会も何度かあって、そのときも「何がしたいのかわかんない」と正直に言った。

その時、父、こうです。

「高校生のときもおんなじこと言ってたよ。」

自分では憶えていないんだけど、そう言ったらしい。大学受験でフツーの大学ではなく、美大を受けるとかそんな話をしていたときにわたしは、「やりたいことがわかんない。やりたいと思えないことはできない。」みたいなことを言ったらしいのだ。たしかにわたしは、消去法で大学を選んだ節がある。つまんないことはしたくないし、ワクワクするのは美大だけだった。ただそれだけの理由で選んだ。

そして大学に入ったとき、ひとりずつ短い紹介をしていく場面があって、わたしはそこで自分が言ったことを今でも憶えている。「やりたいことがわからないので、ここでみつけたい」。そう言った。

これは、高校時代から続く、わたしの焦りみたいなものなんだと思う。夢みたいなものがあって、それにガンガン向かっていこうとする人をうらやましいとずっと思っていたし、そうじゃないじぶんにちょっとした違和感があった。でも、わたしは好きなことはあった。なにかを描いたり、つくることはそのうちのひとつ。そういうものがあれば、きっとそのうち生きがいみたいなものができるんだろう。「好き」が「人生の大黒柱」になるときがくる、いや、そうあるべきだと思ってきた。

しかし、予想に反して、こんな年になってもそんなときは訪れなかった。誰がなんと言おうと!みたいなものも、あいかわらずない。
焦ってきた、というか、もうやりきれない気持ちになっていた、というのが最近のわたし。「いい年して、なんでこんな自分のことばっかり考えてるんだろう。でも、したいことがわかんないのに、どう進めばいいかなんてわかんないじゃん。」

そんな渦中、いろんな人のインタビュー記事を読んだり、本を読んだりしていた。その中に「動機がなくても生きてていい。動機がないといけないようなムードが漂っているけど、そんなものが明確にある人の方が、本当は少ない」というような話があって、これはヒジョーにありがたかった。そうか、そうなのかと、一気に肩の力が抜けた。
いいんだ、別に夢とか目的とかなくても。
やりたいことがなくても。
そう思ったら、まだ生きてていいんだと思えた。

でも、それですべてが解決はされなかった。
とりあえず、生きていていいと思えるようにはなったけど、どう生きればいいかはわからないままだった。だって、何もしないわけにはいかないし、何も考えないで生きるのは無理だもの。なにかをするためには、それに決める指針が要るのだ。その指針が、わかんない。

なにか、なにかが足りないんだよ と、とにかく記事や本を読みつづけた。(そんなたくさんじゃないけど)

で、昨日、「成りあがり」を読んだ。当時28才くらいの矢沢永吉さんを取材して、その内容を書き起こした本。

とてもおもしろかった。一気に読んだ。彼の「スーパースターになってやる」という執念と行動力は凄まじかった。

で、思った。「わたしは矢沢永吉のような人間じゃないわ」。はっきり、わかった。

まず、バックグラウンドが違う。あんな苦労なんか、これっぽっちもない。「なんの苦労もせずに生きてきた人」のグループだ、わたしは。

人にはそれぞれ経験があって、それがもとになっていまのじぶんがある。経験してきたことの違いが、それぞれの違いを生む。顔からだのつくりとか以外は、だいたい後天的なものなんだと思う。生まれつき決まっているものなんて、ほぼないはずだ。

「過去のことなんか関係ないじゃん、いまの自分がどうしたいかじゃん。矢沢永吉みたいになりたいなら、なればいいじゃん。」

鼓舞しようとするわたしが言う。
少なくとも、変えようと行動すれば、なにかが必ず変わっていく。

「でもその話、なんかズレてない?」

「それができるなら、いまこうなってなくない?なんでできないのかが問題なんじゃない?」

もうひとりのわたしが、そう返した。

そして、こう続ける。

「わたしはさ、じぶんがどういうヤツなのかってことを、わかろうとしたことある?他の人に憧れて、そうなりたいと思って、なれなくて、ダメだー!…それしかしてなくない?」

そうだね、してないね。
自分のことなんて、まぁわからないものだけど、少なくとも知ろうとしてなかったね。周りしか見てなかった。

無意識だけど、知りたくなかったんだろう。それで「決まっちゃう」だろうなと薄々感づいていたから、「違う!本当は違う!」ってことにしたかったんだ、たぶん。「わたしだって、本当はしたいことがあるはずなんだ!ソレがわかんないからできないだけだ!」ということにしたかった。

でもね、なんか、そろそろあきらめようと思った。あきらめたら、この先暗いなーとビビりながらも、そうした方がいいと思って。
けど意外なことに、あきらめはじめたら、そんなに暗くならなかった。
人に憧れるのは、もうやめようって思ったら、もう自分のこと認めるしかなくなったからだ。
だって、この自分しかないんだもん。
これでやってくしかない。
他はない。
そしたら、ちょっとずつみえてくるものが出てきた。

わたしは、したいことないわ。
夢みたいなもの、ない。
ここにたどり着きたいっていう、目的地が特にない。

でもね、
なんか、あるみたい。

夢じゃないんだけど、
仕事でもない、
趣味でもない、

でもこころの、なんかどっかに、これだけはっていうものがあるらしい。

これ、なんだろう?
なんだ、これ?

あ、

「これ…道…?」

そうか、道か。
道があればいい。
道があれば、歩いていられる。

「行きたいあそこ」は、もういいや。(ないし)
でも、よくよくこころに問いかけてみると、「こういう道を歩きたい」というものだけが、どうやらわたしには、あるらしい。

「どこにいても、なにしてても、こういう風にしたい」っていう、ソレ。

そう、ソレ、たぶん道なんです。
「いまその道の上にいるな」
そう思えたら、なにがあっても別にいいや。
そう思ったら、もうそれだけでいいかと思えた。

「こういうじぶんでいよう」

これは、道のことなんだと思った。

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