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エッセイ小説 「羽音」 一話目


 例えば、なんでも自分の願いが叶うとしたら、何を願う? 私は、耳の中で鳴り続ける羽音を消したい。

 私は、ずっと鳴り続ける羽音に悩まされていた。

 耳から途切れることなく鳴り続けるせわしない羽音。この世界で実在する生物でいえばスズメバチに近い。何度もその音を消そうと、色々な手段でトライしたが未だ消えることはない。いっときたりとも消えることはない。

 無視できないが周りの音をかき消さない絶妙な音量で、そして無視することのできない絶妙な高さの音程で私を苛立たせる。気持ちの良い芝生の上でまどろんでいても、必ずそこには羽音があって、最後に手放しでリラックスしたのは、いつだろうか。


 疑問に思う、いつからこの忌まわしい音が始まったのか。記憶が水で薄めた牛乳のように白濁としていて思い出せない。

 たしかちょうど一年目の秋にはこの音はなかったはず。十月に私の誕生日があり、その日を特別清々しい気分で迎えたのを覚えている。その日には羽音はなかった。ぼんやりと思い出す、おいしいレモンタルトを近所で見つけ、小さな幸せが身体中のストレスを抜き去ったということを。 
 
 が、多分これは自分に捏造された記憶かもしれない。最近、自分で架空の記憶を作ってしまう癖がある。記憶が白濁しているので、曖昧な空白部分を勝手に脳が埋めてしまう。大体が日常に支障をきたさない些細のものなのでそのままにしているが、現実の記憶と架空の記憶が入り混じっていて何が真実なのか私も誰も判断できない。混沌としていて白濁している私の記憶。
 
 去年の冬にはこの音があったと思う。静かに降る雪と羽音のコントラストがなぜか美しく思えて、そんな感情をめずらしく思い驚いたのを覚えている。これも嘘なのだろうか。とにかく、一年以内にこの音が始まったのだ。
 
 
 レモンタルトが食べたい。みずみずしく口の中で解けるレモンタルト。けれどレモンタルトを売る店は定休日だ。食べることができない。けれど果たして、レモンタルトを売る店は存在しているのだろうか。存在しているとすれば、本当に定休日なのか。確かめに行くのも面倒で、この問題を後回しのする。不確かな記憶の中で生活するのは結構つらい。お腹が空いてきたからスーパーに行く
 


 普段スーパーには週に三回訪れる。蛍光灯で照らされたなぜか少し灰色がかった空間のスーパーマーケット。食材が不味そうに見えるのだけど良いのだろうか。少し遠くに綺麗で大きいスーパーマーケットもあるのだが、一番近い少し寂れたこのスーパーに来てしまう。定員も客も老人が多い。

 トマトとアボカドと焼き芋を買う。あとは袋詰めの千切りキャベツ。そのままのキャベツを買って自分で千切りしたほうが完全に経済的なのだが、千切りが上手くできないし、上手くなろうともしていないのだ。千切りキャベツは健康的に腹を満たすために食べる。一袋のキャベツを山盛り、一食で食べきる。味気ない気もするが減量のためにそうする。買いだしから戻ると、まだ温かい焼き芋を取り出す。焼き芋は好物で、寒くなってきたこの時期はよく買ってしまう。大きめのサツマイモを一本、無心で食べて切ってしまう。

 無心で焼き芋を咀嚼していると余計に耳の奥で響く羽音が目立つ。外に出て行動しているときは、この羽音はいっとき忘れることもできるが、一人家で過ごすと嫌でもこの音と付き合わなければいけない。
 焼き芋を食べ切り、暇なので羽音を観察することにした。

 注意深く何かヒントは隠されていないか聴く。大きめの虫が耳の中で飛んでいるみたいだ。せわしなく一定の音でビーッと鳴っている。もっと穏やかに飛ぶ蝶のような羽音であればよかったのに。何分たっただろうか、少し高めの音が私に緊張感をもたらす。胸が軽く締め付けられるように、少し苦しくなる。この音に集中するといつもこうだ。もう今日は観察するのをやめることにする。

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