2022.10.20 そんなヤツらに憧れてたの?
『教室内<スクール>カースト』という本を借りた。文化系トークラジオLife ※1 の過去放送でも触れてて、もしかしたら大学の図書館にもあるんじゃないかと思った。なんせ「教育心理学」というコーナーがあったんだから。
あの時の苦しさに、何か理由はあったのか知りたかった。メカニズムとか、心情とか、詳しいことを学べたら理解もできるかもしれないし、ちゃんと言語化できたら納得もできるのかなって。
学生を対象にしたインタビューではスクールカーストあるあるみたいなことがよく挙がってた。1軍はこういう言動をしがちという証言から、1軍とはどんな人かをまとめていた。
もちろん容姿がいいとか運動部だとかもあるけど、それだけではなかった。要は声がでかくて気が強い人、それが1軍の共通点だった。
声がでかいからクラスの中心のようにふるまえる。クラスの空気を作り出せるし先生とも仲良くできる。そして授業中でも私語をする。気が強いから自己主張もできるし、クラスの方向性も形作る。怒られたって知らん顔、ダメージも無い。2・3軍にめんどくさいことを押し付けるのだってそう。
一方で先生側へのインタビューでは、1軍の友好的姿勢や自己主張ができるという面を高く評価してて、社会に出ても心配ないと言っていた。やっぱり1軍は先生と仲が良い。
社会のシステムのことを考えると納得もしそうになるし、結局2・3軍は報われないままかぁと思いかけた。
ただその後のまとめの章では「スクールカーストに苦しんでいる君へ」というタイトルをしていたように、先生の視点を否定する感じで述べられていた。「中学とか高校は長い人生の中の期間限定である」というまとめに、どこか気が楽になったようだった。
多分スクールカーストのさなかにいた頃の自分がこのまとめを読んだら腹も立つだろう。気にするな、耐えろと言っているようなものだと。でも過去の苦しみに決着をつけたいというきっかけで読む分には、分かるなぁと思えた。
自分は中学時代にひどくみじめな日々を送っていて、高校に入るとそれは比較的マシになった。それには義務教育かどうかという違いがあった。
地域住民を手当たり次第に同じ箱にぶち込んで閉じ込めるのが義務教育である。成績関係なく全員が通えて、いろんな性格の人々をひとまとめに扱う。
これが高校になると義務教育が終了し、どの高校に通うかも自分で決められるようになる。そして受験によって生徒がふるいにかけられる。偏差値もあるからだいたい同じくらいの能力の人々が集まる。気の強さのみでカーストをのし上がっただけの人間とは、ここで決別できるということか。人間関係リセット癖ってある意味有効だったのかな。
子供に「なんで勉強しなくちゃいけないの?」と聞かれた親は、こういうことを言えばいいと思う。「いい大学に入っていい会社に入ることが全てではないけど、いい人に巡り会うことはとても大事だから」と。
そして大学に進学した。クラスなんてものは存在しないから人付き合いは極端に減った。本で訴えられてるように、小中の頃からこんな感じの学校システム ※2 だったら、スクールカーストに悩むこともなかったと思う。
同時に落研とかゼミとか「合う人に会う」機会が増えたのが嬉しい。似た境遇や同じ波長の人が吸い寄せられるシステムでもあんのかな。
高2の時ににゃんともゆるラジオ ※3 に送った「成人式なんか行きたくない」というメールも、単なる若き日のトガりじゃなかったんだな。同窓会とか、別に行かなくてもいいのかも。
あと、この本を読んで記憶にフタをしていた高校時代の暗い思い出がよみがえってきた。卒アルの写真を撮る時、結構なトラウマがあったんだよなぁ。合唱コンクールも、体育祭も。
かつてnoteに高校時代の日記を載せた時、荒んだ文面を見て「高校時代ってこんなに苦しかったっけ?」と疑問に思ったことがある。noteにもそんなことを書いた。でもそれは記憶を封印していただけだった。まさかここでその封印が解かれるとは思わなかった。
※1 TBSラジオで放送されてるラジオ、ポッドキャストで過去回も配信している。現代社会学やサブカルに関して雑談をする内容の番組。
※2 小中学校からクラスという制度を廃止して、大学のように自分で時間割を組んでみんなバラバラに授業に出席する。大学生でも単位取得のシステムを把握しきれないのに、小中学生にこんなことできるわけがないとは思うが、クラスという呪縛から解放できるのなら俺は頑張りたい。
※3 かつてニコニコ動画で配信されていたネットラジオ。現在は削除されている。
大学4回生のこの時期は結構ヒマだったため、大学の図書館に入り浸っていた。現代社会学やメンタルヘルスの本を中心に、週に1冊は学術書を読んで日記に感想を書く生活だった。
『教室内<スクール>カースト』は、過去の苦しい記憶に決着をつけたいと思って読んでみた。いつまでもイケてるクラスメイトに劣等感を抱いたままではいけないのだ。もうそろそろ自分の人生を生きていかないとダメなんだよ。あいつらへの憧れを手放すことが「決着」だと思った。
メカニズムとしては、同じ地域で同い年の子供たちをひとまとめに扱う管理教育が。心情としては、単に声がでかいだけというシンプルなものだった。要は教育をめんどくさがる社会が悪いし、1軍は性格が悪いだけだったんだよ。こういう背景を知って、胸のつっかえが取れた気がした。
そんなヤツらに憧れてたの?という気持ちだ。劣等感があったということはあいつらを崇める気持ちがあったわけだが、実情を知った今では、俺はなんて小さいヤツらに縛られてたんだと思えるようになった。
「自分を大切にしよう」と、強メンタルの持ち主みたいなことを言うつもりはない。ただ自分を大切にするためには、誰かを心底バカにするというのも必要だと思う。正直、綺麗事だけではやっていけない。事実それでしっかりと決着がついたのだから。
成人式なんか行かなくていいのだ。地縁で集められただけの人間関係に、何を固執する必要があったのだろうか。土地じゃなくて、心意気でつながった人の方が大切だとは思わないだろうか。
まぁ実際には、感染が心配だからと言う方の理由で成人式に行かなかったんだけどね。この本に出合う前に、既に「行かない」という選択をしてたんだよね。