2024.07.01 分かるのだ、だからこそ強くあれ
#煩悩ガール ※1 のポストを眺めていろんなリスナーの感想を楽しんでいたら、1件だけ批判ポストがあったからブロックした。ブロックはしたが正直俺はその内容に「分かる~」と思った。ノイズなんだからブロックして非表示にする必要はあったのだが、内容としては痛いほど分かるのだ。
まじめに読むのもバカらしいからサッとしか見てないが、だいたいこんな感じのことを書いていた。「課金リスナー ※2 を優先してるのかと思わざるを得ないくらい、同じ人ばかり読まれている」「コーナーを全然やってくれない、30分番組の悪いトコが出てる」と。
これは憶測ではあるが「同じ人ばかり読まれている」というのはおそらく俺のことだと思う。なぜなら先週と先々週の放送でネタが9通採用され、今週はネタ1通とふつおた1通が読まれてた。3週で11通である。暴れすぎた、そりゃヘイトも買うだろう。鬱憤が溜まって爆発してのポストなのだろうな。
いや、俺からしたら努力の賜であり、情熱を絶やさなかった結果であり、狂気に取り憑かれてのことである。月額課金だなんて贔屓など、断じてない。俺が頑張ったからである。それを癒着などと勝手なこと言われるのは腹が立つ。
…ただ、俺も似たようなことを思っていた時もあったんだよ。昔、似たような事を考えていたんだよ。
5年前に霜降り明星のANN0にもネタメールを送っていたのだが、3ヶ月ほど頑張ってもたったの1通も採用されなくて、ムカついてそういうことを思っていた。
俺の考えたネタと採用されている他の人のネタに差があるようには思えなくて、きっと常連ハガキ職人は霜降りと癒着があるんだ!なんて思ってた。M-1優勝前からABCラジオの「霜降り明星のだましうち!」を聞いてた古参を優遇してるんだ!と。
今でも名前を憶えている、RNおもちもちもちももちさん。なんだこの耳心地の良すぎるラジオネームは、一生忘れられないよ。
他のラジオを聞いてても「毎週必ず採用される打率10割のハガキ職人」なんていなかった。よく耳にする人はいても毎週ではない、調子よくて隔週で採用されれば天才の域だ。毎週というのはいくらなんでも…とカリカリしていた。
だからムカついて3ヶ月でメールを送るのも、聞くことすらやめてしまったのだ。この事を落研の合宿でO先輩にグチグチ言ってた記憶がある。
カリカリすんのも分からなくもないけど、今考えるとなんてみみっちいことを言ってたのか。自分の弱さを棚に上げ、あらぬ疑いを妄想で作り上げて正当化する。ももちさんだって一生懸命頑張ってのことだろうに。良くない。でも、分かる~。
おそらくそのポストをした人もネタメールを送ってて、読まれなくてイライラしたんだろうな。「全然コーナーをやらない」というのもそうだろう。コーナーにメールを送ってもいないのに、コーナーをやらないことにイライラするというのもおかしいし。毎週コーナーをやってくれたら俺のメールが採用される確率も上がるのに…!と思ってそう。
5年前に俺がカリカリしていたあっち側に、今俺が足を踏み入れたからこそ思えることだ。俺も偉くなったもんだ。
コーナーをやってくれないことに対するもどかしさも分かるのだが、それはグッと肚の底に押し込めている。ラジオというのはパーソナリティーのトークを楽しむコンテンツであり、コーナーなんぞおまけでしかない。
吉住さんの人生を知れればコーナーが潰れても聞き続けるはず。自分のネタメールが採用されて満足感を得たいがためにトークを潰してコーナーをやれだって? ラジオはお前のオナニータイムじゃねーんだよ。ポストしたやつにはそう思うし、自分に対しても自戒の意を込めてそう言い聞かせている。
これだって昔、同じことを思ってたから。ラジオをあまり聞いてなかった2020年に ※3。だから俺はそいつの気持ちが分かる。いや、目の敵にされてる俺がそんな「気持ちが分かる」なんて言っても聞いてくれないのかな。じゃあ「俺も同じこと思ってた時あるわ~」と言えばいいのかな。
結局そいつに対してなんか言ってやった方がいいのなら「悔しいならもっと努力してみろ! 弱さを棚に上げんな! 無理ならいっそのこと諦めてしまえ!」かな。だって霜降りANN0を諦めて煩悩ガールに流れ着いて、今の俺があんだから。
コーナーをやらないことのもどかしさも、やれって批判して強制するんじゃなく、とにかくメールの数で攻めて「こんないっぱい来たらやらんといけんよな」と思わせるように仕向けないと。
11通のうち8通が読まれた2つのコーナーは、「もうもろみじょうゆくらいしか送ってない」と言われた幽霊コーナーだったから。同じ人ばかり読まれるというのも、そういうカラクリがあんだよ。
※1 ラジオアプリGERAにて配信されている「吉住の聞かん坊な煩悩ガール」という番組のハッシュタグ。
※2 GERAはマネタイズのために各番組ごとにサブスク機能を導入している。月額課金すると、過去アーカイブが全て聞き放題になったり、会員限定コンテンツを聞けたりする。
※3 詳しくはこのエッセイにて。
熱くなれる趣味があるということは人生を助けてくれる。人生を社会生活の一辺倒で捉えてしまうとあまりにも苦しすぎるから、それ以外の生きがいや生き様を確保できると、上手く心のバランスがとれるものだと思っている。
ただハガキ職人という趣味はラジオ番組ありきのものだから、必ずしも全部が自分の思い通りにいくものでもない。コーナーをやるやらないもそうだし、自分のネタが採用されるかどうかもある。
だからこそネタ採用以前に「パーソナリティーを推す」という気持ちが必要になってくる。まずパーソナリティーを愛する、その後でコーナーに情熱を捧げろよ。それを今だって自分にも言い聞かせている。
確かに俺だってコーナーが無い週は少なからずもどかしさがある。こういう逸る気持ちを抑えるために、いつか2周目をイッキ聞きするという計画を頭の中で立てている。ポッドキャストは過去回が全部聞き返せるし、地上波ラジオも録音という手段がある。
配信されたばかりの最新回はコーナーをやるのかやらないのかというドキドキが頭の中に入ってくる。しかしコーナーの有無や自分のネタの採用されたされないがハッキリしている2周目は、そんな雑念無くトークを聞くことができる。
1つの放送で2種類の聞き方・楽しみ方ができる。配信されたては申し訳ないがトークも上の空になっちゃってるが、いつかじっくり腰を据えて、話の詳細にまで耳を傾けられるというワクワクも残している。こういう聞き方をしているから個人的にコーナーの有無にカリカリしなくなったのだろうか。
特にこの日記で実例として挙げた吉住さんのラジオは、時期によってコーナーの重要性というのかな、そういうのに変遷があるように感じる。最近煩悩ガールを第1回から聞き返していて、今と昔を比べるとそう思う。
初期では吉住さんが「30分も1人喋りをする自信が無い」と漏らしていて、まずは30分頑張ろうという目標を立てていた。その尺つなぎとしてなのか、毎週欠かさずコーナーをやっていた。
それが最近の放送では、放送終盤のコーナーが無くとも1人喋りで30分駆け抜けられるようになってきたし、コーナーをやったとしても送られてきたネタに対して「それで言うと…」から始まるトークが止まらないのだ。
初期の放送ではテンポよくメールを沢山読んでいたり、ないしはキモメールに対してスカしてリアクション少なく次のメールを読み始めていた。それはハガキ職人にとっては嬉しいだろうけど、パーソナリティー側からしたら内容を膨らませられなかったという後悔だってあったんじゃないだろうか。
しかし昨日の配信は俺が送ったネタメールに対して「真面目すぎて変だけど、それが面白いディレクターと仕事をした」という話が、コーナー最中にも関わらず5分にわたって繰り広げられていた。
イッキ聞きをしたり今と昔を比べたりすると、こういう違いも見えてきて面白い。長く続く番組は、パーソナリティーの姿の移ろいが一番の魅力となってくる。ラジオのようなコンテンツを追うことは、誰かを愛する気持ちに近いと思う。その視点を忘れないでほしい。特に俺よ、強くあれ。