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2023.01.16 あの人らは保健室になれない

こないだから聞いてるme保健室 ※1 だがふと気になることがあった。ある回で友達からの気の進まない誘いをどうやって断ろうかという話題になり、色々話した後で最後の方に「ヤバい宗教にハマったフリをするのは?『ゴメンその日は会合があるから~』みたいな? あはは」という発言があった。2021年の放送である。

俺も一緒にクスッとしたが、その数回後の放送でその発言が、軽い炎上・ボヤ程度になったと言っていた。宗教を茶化す発言に傷ついたというリスナーからの投書 ※2 が数通あったとのこと。

そうかぁ、たしかにな。宗教絡みで笑いを取るのはセンセーショナルな一面もあるよなと思い、クスッとしてた自分が恥ずかしくなった。その放送を2023年に聞いたからというのもある、2年でご時世はガラッと変わるもんだね。

だがそのボヤに触れた放送は喋り出しで「自分の繊細さを盾にしてそれを振りかざし、人を傷つける人っているよねー」と言っていた。言うなれば宗教発言に傷ついたという投書を、ワガママな人扱いしていたというわけだ。

それが納得いかないのである。たしかに何かしらの発言の、小さな小さな部分に揚げ足を取って騒ぎ立てるネット民はよくないと思う。

でもね、宗教発言はなかなかに大きい発言だよ。それでボヤが起こるというのは妥当なことに分類されると思う。むしろボヤで済んだのかよ。

宗教発言をしてしまったのはしゃーないと思う、時に笑いのセンスがズレることもあるよ。問題なのは、投書に対して謝りもしないどころか、傷つけた側が「人と人が関わるうえで、一切傷つけないなんて不可能だよね。しょうがないよ」というスタンスを取るのである。

リスナー側がしょうがないと自分を納得させるのは分かる、言い手が自分を正当化させるために言うのは違うよ。あんたが言うことじゃない。

番組開始当初の放送で、知らず知らずのうちに誰かを傷つける人という話題に対して「まぁこの放送聞いて自分はどうだろうかと心配になってるリスナーさんは大丈夫だけどね」と言ってくれたのが嬉しかった。

日頃の生活にどこか生きづらさを抱えて、何かにすがる思いでこのラジオにたどり着いた人を、認めて肯定してくれる姿勢がありがたかった。

その言葉はウソだったのか。35回ぐらい放送を追いかけて、投書まで送って、それにケンカを売られるリスナーの気持ちよ。根も葉もないウソ言いやがってさ、発言がうかつすぎるよ。

このラジオっていろんなリスナーさんから「こんな一言で傷ついた」という涙のメールが届くんだよ。それに伴ってパーソナリティーもモヤモヤする一言を語っている。

「彼氏いないの?」「早く結婚したら?」「子供の顔を見せてほしいな」「このファッションはダサい」「話聞いてる? ※3」「私LGBTQに全然抵抗ないから~ ※4」「国民の自己責任で…」

SOD酒場だったのかな、AV女優と飲める酒場に出勤してた人が、お客さんから「売れないんだったら辞めたら?」と心無いことを言われ、それをTwitterで呟いたら「冗談1つ分からないの?」と、これまた心無いリプライをされたという話があった。お二方も怒ってた。

酒場の客やTwitterユーザーから悪口を言われて傷ついたと声を上げるAV女優と、ラジオパーソナリティーの不適切な発言に傷ついたと声を上げるリスナーの、その違いを教えてくれよ。

前者には共感して怒りの声を上げ、後者にはしょうがないよとなだめる。この差は何なんだよと考えると、腹が立ってくる。発言が自分勝手すぎやしないか。

怒ってる人に対してスカすやつに対してモヤモヤしてる回もあったんだよなぁ。なだめられるとか、無視されるとか、何でこの人こんなに怒ってるの?という態度を取られるとか。そういうスカしにも腹が立つ。

これがね、me保健室のモットーが「戸田真琴と飯田エリカ ※5 が自由にゆるくお喋りするポッドキャストです」だったら、多少発言が身勝手でもいいと思う。そこにやいのやいの言われたら2人も息苦しいだろうな。

ただ紹介文は「大人にも保健室がほしいな。ただ安全に居られるだけの場所が、もっとあったらいいのに。そんな想いで、このポッドキャストを始めました」である。そういうことを掲げるからには、そう在ろうとする度量は必要だと思う。掲げたことには責任を持ってほしい。

自分の思うように気ままにしゃべっている保健室で、どうしてこんなにも発言が気になってしまうのか。

あのラジオは「声を上げていいんだよ」という肯定をしてくれているのだ。日頃のモヤモヤに「こんなことを思ってしまう私がおかしいの? 社会の列を乱している私が悪いの?」と思ってしまうところを「あなたがおかしいわけじゃないんだよ」と、35回にわたって肯定してきた。

社会という構造体からはみ出してもみ消され、無かったことにされてしまう怒りを、それはおかしいことじゃないと言い続けるのが、保健室の存在意義だと思ってる。それができないのならこの空間も、そこら辺の社会の一角と何ら変わらない。

時に歯を食いしばってでも肯定して、初めて保健室になれるのだ。俺は保健室のいちリスナーとして、時に歯を食いしばって肯定してきた。そもそも人物写真という文化自体がよく分かってないのだが、それでも俺は肯定した ※6。

それがいざ自分たちが声を上げられる側になった時に、社会と同じようにいつも通りもみ消して否定して…。

やってることが社会と一緒じゃないか、自分たちが嫌っていたはずの社会と。ポッドキャストの説明文変えようぜ、あの人らは保健室にはなれない。

笑いのセンスなんか自分の思ったようにでいいわけがあるか ※7、初回でルッキズムにファックファック言ってたのは誰だと思ってるんだ。


※1 正式タイトルは「戸田真琴と飯田エリカの保健室」、真琴とエリカの頭文字を取って「me保健室」。

※2 このラジオではグーグルフォームやDMで送られたメッセージを「投書」と呼んでいる。

※3 聞いてるっつーの、とのこと。

※4 LGBTQであることを打ち明けたがために、それまでの話とは全く関係無いのに「私そういうのに全然抵抗ないから~」「多様性が~」と声高に言うのは、逆に傷つける結果になってしまうらしい。

多様性の大事さはもう十分わかったから、次は実際に出会った時の正しいお喋りの仕方を教えてほしい。何がダメで、何が心地よいのか。

※5 戸田真琴さん…AV女優・文筆家 飯田エリカさん…少女写真家

※6 飯田さんの写真展に対する感想コメントを読み上げる回があったのだが、人間が写ってる写真に対して何をそんなに感情移入するのかが分からなかった。ただ、具体的な理屈の理解はできなくとも、何事にも豊かな感受性を持てるということは素晴らしいんだと歯を食いしばって肯定した。

※7「その人のお笑いの感覚って否定できないよねー」という正当化をしていたが、そんなわけはないのである。ブスいじりを誰が正当化できようか。


長々とグチを書いてきたが、これが誹謗中傷の一言で片づけられないことを願っている。個人的に悪口は、誹謗中傷と批判に分けられると思ってる。理屈めいてない吐き捨てるだけの言葉が誹謗中傷で、悪口のくせになぜか向き合ってちゃんと言葉を書いたのが批判である。

こんな前置きをしないといけないくらいには、投稿してもいいのか迷った日記だった。トゲのある日記だった。

じゃあ何で投稿したのかというと、声を上げることの大切さと、怒りを無かったことにされることの虚しさを教えてくれたのがme保健室だったからだ。あなた達が教えてくれたことじゃないか。

ラジオに難癖をつけてしまう自分がおかしいの?と思っていたのだが、この怒りはきっと本物だよ。自分のモヤモヤを誹謗中傷の一言でスカされることの怒りを、きっとお二方は分かってくれるんじゃないかな。

誰かが言っておかないといけないんだよ、さすがにおかしいんだもん。