2021.09.27 ラジオじゃなく、noteでしかできないこと
「そんなに好きなら、自分でもラジオやらないの?」って、たまに言われるんですよね。
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昨日「やりたいことがあるのなら絶対やった方がいい、やらないと後悔するから」と言われた。俺のやりたいことはなにか、それはポッドキャストでのラジオだと思った。
よし、やろう。Nくん ※1 を誘って2人でやろう。この機会を逃すと二度とラジオやんなくなる、そう思った。
その時が23時くらいで、今LINEを送ったら迷惑だから、明日の朝頼んでみようと思って消灯した。鼓動が高鳴るのを感じてなかなか寝付けなかった。
明日、俺たちのラジオが始まるぞという高揚感。ラジオのことをいろいろ想像した。どういう放送にしようか、何を話そうか。トーク・編集・放送後記…。
みたいなことを考えてふと思った。俺はおしゃべりがしたいのであって、別にそれを発信したいわけではないと。編集のことを考えていて、何で楽しいおしゃべりに「編集」なんて作業をしないといけないのかと思った。しかもスケジュールに追われて。
俺がしたいのはポッドキャストでのラジオではなく、中学の部活の同級生を集めたリモート飲みなんじゃないか。そう思うと、高鳴る鼓動が引いていくのを感じた。
やっぱラジオを発信するとなると、喋る相手との友達関係がちょっとピリっとするじゃん ※2。別に俺はNくんにオチのある話や上手な立ち回りを求めようとしてるわけではない、気楽に雑談ができればいいのよ。
でも発信という前提条件がある以上、どうしても少し緊張するじゃん。何で緊張しながらおしゃべりしないといけないのさ。誰かに聞かれてることを考えながらおしゃべりするって何だよ。
そもそも思ったことを吐き出したいというのなら、日記があるじゃん。自分の思ったことを絶対に否定されない場 ※3 が1つあるじゃん。俺はラジオよりも飲み会や日記の方が性に合ってるんだな。そう思って寝た。
今朝のバイト中、やりたいことをもう1つ思い出した。ハガキ職人としてもうちょっと頑張りたい。
年が明けて、三四郎のオールナイトニッポン0のバチボコ!のコーナーに絞ってネタ投稿を再開した。たった1コーナーだけ ※4。それをもうちょっと増やしたい。オードリーのオールナイトニッポンとか、ザ・マミィやママタルトのラジオとか。あと書き出し小説 ※5。
ハガキ職人としてもっと頑張らないと後悔するだろうな。秋学期から授業数が少なくなるし(順調に単位を取ってきたから)、最近昼寝をしなくなってきたし(朝、コーヒーを飲んでカフェインを摂取しているから)。
何だったら読書でもしようかと思っていたところだ。なんか最近時間あるなーと思って。読書よりも優先すべきことがあった。
とりあえずバイト中、書き出し小説と死んやめ ※6 のネタを考えた。意外とまぁまぁの本数を思いついた。何でいきなり意欲が湧いたんだろうか、せきしろさんの自伝 ※7 を読んだからかな。
※1 中学の時の親友。比較的やり取りはする仲だったから、ラジオを誘ってみたら快諾してくれるんじゃないかと思った。
※2 中高の同級生でラジオを始めた2人が、年月を重ねていくにつれてだんだんとビジネスライクの関係性になっていくラジオを聞いていたのだ。友達関係がビジネスライクになっていくなんて、俺は悲しいよと思った。
※3 独りよがりすぎない?
※4 そのことについてはこちらのエッセイで。
※5 デイリーポータルZで連載されてる、小説の書き出し部分だけ考えて送ってもらう投稿コーナー。
※6 オードリーのオールナイトニッポンの長寿コーナー。芸能人に、死んでもやめてほしくないことを考えて送ってもらうコーナー。
※7 元ハガキ職人の放送作家さん。『1990年、何もないと思っていた私にハガキがあった』という自伝小説。
たしかにかつて、ラジオをやってみたいと思っていた時期はある。ただ一瞬だけ心に炎が灯っただけで、眠りにつく前にともしびが消えてしまったのだ。鼓動が落ち着いてからはスムーズに入眠できた記憶がある。
おしゃべりは好きだ。ゼミのメンバーとの飲み会とか、ネット上の友達とボードゲームをするとか。そのためにも最近、麻雀のルールを覚えようと考えてるくらいだ。麻雀会が定期的に行われている、それに参加できないでいる。麻雀ができたらその輪に入れるだろうなって。
それを、マイクを準備して、録音されてるのを確認して、形式ばったご挨拶をして、フリートークを事前に考えて、聞くに堪えるように編集して、これで聞くに堪える放送になってるか不安になって、スケジュールに追われて公開して、全世界の目に晒されて…。
何だコレ。何でおしゃべり1つしたいだけなのに、こんなに不安になってこんなに手間がかかるんだよ。ラジオって、本当にやりたいことなんだっけ?
だったら自分の思ったことや考えたことを、既にあるラジオ番組のコーナーに投稿して、吟味してもらって、面白いやつを代わりに発表してもらう方が楽だよなと思った。あるいはお誘いがあった時に、ないしは機会があれば友達とお喋りするだけでもう十分。
自分の考えを発信することにおいては、noteの方が有効な手段に感じている。自分の過去の日記をコピペし、脚注をつけて、今の自分が思うことを書き加える。感覚としては、昔の自分の背中をさすっているような感覚がある。
辛かったな、苦しかったな、嬉しかったな。大丈夫、お前は間違ってない。現在の自分が過去の自分を肯定しに行くためには正直、第三者の話し相手は必要ないと思う。ラジオじゃできないことなんだよ。
ラジオよりも、エッセイを通じた自己分析と自己内省の方にやりがいを感じてしまったのだ。生きていくにおいて重要な時間だと思っている。霧がかかった自分の姿を解き明かして、どこにあるかも分からない自分の核を探し出す。それが性に合ったから、noteも4年目に突入したのだ(時にサボりつつ)。
あと、日記冒頭の一言があったおかげで、一度はサボっていたラジオへのネタ投稿には再び本腰を入れることができた。その点ではこの言葉にすごく感謝してる。
ラジオを聞くにあたって「メール読まれろ!」という邪念が入り込んでしまうのは、純粋なラジオの楽しみ方ではないと思う。放送を聞き終わった時に「今週も読まれなかった…」という、いらない悲しみに襲われる瞬間は増えた。
ただ、そのようなメンタルのアップダウンがあったとしても、何かにチャレンジする習慣があるというのは素晴らしいことだと思ってる。何にも挑戦することなく、ボーっと日々を過ごすのは、平穏だけど刺激は無いよなって思う。
この一言で奮起したから、一部のラジオでは毎回採用されるような常連リスナーになれたのだ。発言主の方へ、本当にありがとうございました。