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2022.09.14 ラジオネームを名乗ってみたい

ザ・マミィがラジオで、広島のライブに行った時にR.N.たけこさんとR.N.サラダでこんぶさんに会ったという話をしていた ※1 。マダムみたいな人と想像してたけど、思ったより若い人でビックリしたという感想だった。

ラジオにネタメールを送り始めた当初は、あわよくばパーソナリティーに名前を覚えてもらえるくらいの常連ハガキ職人になりたいと思ってた。しかし実力が足りなくて、毎回採用されるようなことはなかった。

ただ、ネズミの咆哮では嬉しいことにほぼ毎回採用されているし、名前も覚えてもらえるっぽい。

時に1回のコーナーで3枚抜きをしたこともある ※2。ネタの内容があまりにもウソすぎて、過去一キモい!と引かせたこともある ※3。文章の組み立てが下手すぎて、2人を大混乱させてしまったこともある ※4。2回も。自分のメール関連で起こった展開が、その回のタイトルになったこともある(2回の大混乱のうちの1回)※5。

正直、今の俺だったらマミィのお2人に挨拶できれば「あぁ! 君がR.N.もろみじょうゆか!」となりそうな気がする。思い上がりかもしれない、でも名前を覚えてもらっている気もするし、その上たけこさんとサラダdeこんぶさんのように本放送で触れられる、なんて妄想もしてる。

三四郎のオールナイトニッポン0を聞き返していると、相田さんがラジオリスナーフェス ※6 に出た時の話が流れてきた。イベントのスタッフもラジオリスナーばかりで、楽屋で「R.N.〇〇です!」と挨拶されたと言ってた。

しかし相田さんはラジオネームを覚えるまではいってなかったようだった。「この間の放送で、ネタメール採用されました!」なんて人も覚えてなかった。

それを思うと怖くもなる。「ラジオ聞いてます!」と言うだけなら別に大丈夫だしマミィのお2人も喜んでくれるだろうけど、ラジオネームまで名乗るのは賭けである。覚えてくれてるだろうと勘違いして意気揚々と名乗り、覚えられてなかった時のいたたまれなさは想像するだけで血の気が引く。

でも、チャレンジする価値はあると思う。ザ・マミィ、関西でのライブないかなぁ。そういやそもそも関西に来たとして、どうやったら出会えるの? だって劇場の入り待ち・出待ちって今できないんでしょ?

たけこさんとサラダdeこんぶさんは福山駅で出会ったらしい。京都駅・大阪駅…で会えるのかなぁ。ライブ終わりに会場近辺をウロウロして、偶然を装うしかないんじゃないのかな。


※1 広島のライブでリスナーに出会ったものの、他の芸人も近くにいたため素っ気ない対応をしてしまったという話。

※2 一度のコーナーでメールが3通も採用されることを個人的に「3枚抜き」と呼んでいる。

※3 「キモウソクイズ」というコーナーで、ウソかホントか分からないクイズを募集している。「リラックマはかつて、最愛のクマを交通事故で亡くした過去がある」という大ウソを送り、2人を引かせてしまった。

※4 シンプルに文章の組み立てが全く上手くいかなかった。

※5 「日本の昔の馬は」という部分で、林田さんが盛大に壊れてしまった回。俺にも非はある、はず。

※6 ラジオ番組にゆかりのある芸人や裏方が出演したイベント。


この日記では会いたいという気持ちだけあふれ出て、具体的に何で会いたいのかという理由が全然書かれてなかったわ。まさか「他のリスナーさんが会ってたらしいから」なんていう、隣の芝は青い的な薄っぺらい理由だけじゃないよな?

そもそもファンだったら一度は生で見てみたいと思うのは普通のことだからね。今年の単独ライブは配信で見たから、まだ会えてないんだよなぁ。

いろいろ考える中でネタメールを送るようになった出発点を思い出した。勉強・運動・絵心…、学校生活の中で何の才能も見つからず、その上先生からいない者扱いされていた中学時代。なにか打ち込めることが欲しくて、ラジオは聞いていたからコーナーにメールを送ってみた。

なんとか採用されるようになり、誇れるものを見つけたと同時に自分のことをフラットに見てくれる人がいるという感覚が嬉しかった。それがラジオ局の事務的作業だとしても。

それを林田さんのハガキ職人時代の言葉から引用するのであれば「俺はここにいるんだー!」だろう。自分というものがよく見えてなかった時に、自分で自分を認められるものを見つけたのだ。

ここにいる自分を見つけられたのなら、きっと次は自分以外の人を見つけに行く番だろう。内に向けてたエネルギーを外に放出することで、自分→他人という矢印が成立するような気がする。それは例えば同じラジオを聞いてるリスナー仲間とか、いちファンのパーソナリティーとかだ。

だからリスナー仲間を見つけた時はあんなにも嬉しくなるし、キャッキャしちゃうのだろう。その一方でパーソナリティーを出待ちするのは何故だろうか。リスナーとはまた違う感覚がそこにあるはず。

それはきっとこういうことだろう。自分の誇れるものを教えてもらった、俺はここにいると気づかせてくれた、そんなパーソナリティーにお礼が言いたいんだ。ありがとうございます、嬉しかったです、これからも聞き続けます。そういう感謝の気持ちが溢れているのである。

ラジオネームを名乗りたいのは、自分で自分を見つけるだけでは飽き足らず、誰かに自分を見つけてほしいというワガママだ。でも一種のステータスである「常連すぎて名前まで覚えちゃった」という実績をクリアして、ようやくあの時の自分に顔を向けられるんだと思う。

自己満足だけでは飽き足らず誰かに認めてもらいたいだなんて、ずいぶんと贅沢なことを言うようになったなと思う。でもそれも一種の上昇欲だと思ってる。打ち込めることが無かった生活に比べれば、よっぽど人生変わったなと思う。言うなれば頑張った証じゃないか。

いつか見返して恥ずかしくなるようなことを長々と書いてきたが、ザ・マミィに会いたいという気持ちをきちんと言語化しない限りは自分に示しがつかないと思ったのだ。あやふやな気持ちで会いに行くのは失礼かもしれないし、話すことにも困ると思う。

会いたいという気持ちだけ先行して突撃してしまったら、何の言葉も浮かんでこずに微妙な沈黙が流れそうだ。エゴイズムで向こうに申し訳なさを感じさせるわけにはいかない。言葉を整理する時間を設けてよかった。