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さらに1ヶ月、産業医面談③

訓練してみてどうですか?と。

正直なに訓練しなきゃなんないんだっけレベルで忘れてましたけど。
そこも正直に、訓練できてるのかできてないのか意味があるのかないのか全然わかんない1ヶ月でした、と答えました。

でも、それならよかったです、と。

できてるのかできてないのか全然わからなくても意味があるのかないのかわかんなくてもいい、そういうことを経験して積み重ねていく、トライし続けることが大事。と。

今まであなたは全てにおいてうまくいくように、効率的にできるようにっていう価値観でやってきたよね。準備する→頑張った分の称賛を得るっていうことをしてきたと思うけど、学校はそれを与える箱だった。でもそれしかしてこなかったから社会にでて、なぜうまくいかないのか、なぜこんなにつらいのか、分からなかったと思う。それは社会に無駄なコトモノはあるし、あってもいいっていう感覚とか経験則があなたの中にないから。それを受け入れられる器がないから。だからやり場のない苦しみとか辛さになってしまうと。
(話が全体的に哲学的で難しくてなかなか理解が追いつかなかった)

自分が苦手、嫌いってしている価値観(無駄とか、さぼりとか)の中にあなたが求める自由があるってそういうこと。

とにかく今は無駄のプールに自分で飛び込んで、無駄を心の底から無駄だった!となるくらい無駄なことをやってください、それは本当に無駄で意味のないことかもしれない。でもそれを無駄だと体感する経験を積み上げてほしいと。
(難しい…)

無駄を感じる。
無駄を積極的に続ける。これ私の価値観からしてかなりむずい。今まではやる意味ある?ポイって切り捨ててたから。そこに向き合うにはかなり意識しなきゃなんないし、続けるのはもっと難しい。

無駄を喜んでみる、歓迎してみる。
これ無駄だった!また一つ経験値アップした!ヤッター!みたいな?
そんなふうに考えられるようになるともっと楽に生きられるのかな。

余談ですけど、正しいのかわからないことをやり続けて成果が出た経験が、実はある。
大学受験のときの国語の偏差値だ。
現代文がなかなか良い点とれなかった、やってもやっても。でも直前の模試だったかな。その試験で今までとったことない点数バーンととれて、そこから急に国語の点数が安定したんだよね。それまで全然だめだったのに、急に、試験日にはじけたの。

先生が言ってる無駄を感じる訓練も、同じことなのかなって。
成果がでるまで途方もない時間と何回になるかもわからないトライアンドエラーがある。それをちゃんと無駄と感じながらも続けられるか。まさにトレーニングだね。

いつも最短距離でゴールにいきたいって思ってた。でも世の中はそうじゃなくてもいいみたい。寄り道しまくっても、立ち止まっても、きたみちもどってみても、いいらしい。
無駄を感じられてみてはじめて、意味のあるものが自分で選び取れる。自分の感覚に自信を持てる。

相変わらず仕事に対しては常にナーバスだけど、ナーバスに感じてるモヤモヤも無駄を感じる訓練のうちの一つなのかな。

まだまだ生きづらい〜

Moro


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