当たり前だったものが、そうでなくてよくなった日
今まで色々と、そういう「かたち」を取り繕わなければいけなかった。
そうでなければ、たくさんたくさん、怒られて、嫌われてしまうから。
それって、正体はよくわからないけれど、人肌の温度のスライムで満たされた水槽に入れられるようで、
とにかくイヤな気持ちになるからだ。
だからみんなと同じ「かたち」に見えるようにしなければと思っていた。
そう意識して生きていることすら、忘れてしまうほどに。
「あぁ、これは確かに、ADHDだね。」
私と同居している人がつくった資料に さっと目を通すと、主治医が言った。
えっ、と言う暇もなく、言葉は続く。
「実は、……14歳の頃にきみはここで、アスペルガー症候群 と診断されていたんだよ。」
頭が真っ白になった。 そんな話、私は一度も……。
それでも姿は勝手に取り繕って、
「えっ、そうなんですか……。」
なんて小首をかしげて笑っていた。
病院に相談する前に調べた、ADHDのサイト。
[ 生まれつき脳の認知機能にかたよりがある ]
[ 『治す』のではなく、『受け入れ克服していく』もの ]
そんな言葉がふと思い出され、
色々な 当たり前 が、ガラガラと崩れていく音がした。
2016年 9月16日 ――
当時21歳の私に訪れたその日は、今では記念日だ。
私が生まれ変わった日でもあるし、はじめて自分が 取り繕っていたのだ と
気づいた日でもあるのだから。
その 自分への縛り が、思っていた以上に根深く重いものであることに気づくのは、
まだもう少し、先のことだけれど。
----------------------------------------
実は自分が発達障害者だった、というお話です。
これから色々な形で続きを更新していこうと思っていますので、
どうぞよろしくお願いいたします。
この度は目に留めていただきありがとうございます! フォローはお返ししておりますので、是非相互になりましょう! もしサポートもいただけることがありましたら、とっても幸せです。