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7日間のブックカバーチャレンジ Day3

3冊目は、佐野洋子さん『神も仏もありませぬ』。
いつから佐野さんのエッセイを好きだったのかなあと昔のブログを探してみると、10年前(2010/1/5)にこういう文章を書いていた。
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田辺聖子短編に続く読み始めは、佐野洋子さんのエッセイ。
老後に興味があると話す私に、後輩が庄野潤三さんの次にお勧めしてくれた。
(老後そのものというよりは、老年の自分がどういう生活を送り、どういう風に世の中を見て、どういうことを感じるのだろう、ということに関心がある。経験を経るごとに考え方、物の見方が変わることが面白いから、老年にはどうなっているんだろうというのが気になるのと、できるだけ楽しい晩年を迎えたいから、いろんな形の老い方を知りたいと思っているので)
佐野さんは作家でもあり、エッセイストでもあり、絵本作家でもある。ウィキ先生をチェックして、大好きだった絵本『100万回生きたねこ』の作者でもあることを知り、ビックリ!
谷川俊太郎と一時結婚していたとか、長島有『ジャージの二人』に出てくる不思議なご近所の女性のモデルだとか、周辺情報だけでもかなり興味深い人物に思えてくる。
このエッセイでは、軽井沢に住み、近所の愉快な友人たちとの愉快な日々がつづられている。「愉快」というのは、あくまで佐野さんの描く日常が私にとってそのように感じられるのであり、ご本人は「クソ面白くもない日々」と表現しているのだけれど。
エッセイが書かれた時点で、佐野さんは60歳を少し超えた年齢。佐野さんの文章を読んでいると、つくづく日々がどうあるかは、本人がどう受けとめるかによるんだなあと思う。
実にあっけらかんとした語り口調でつづられる中に、はっとするような一言がさらりとちりばめられていて、そういう一言に遭遇するたびに、どきっとした。
余命いくばくもないと宣言された飼い猫が静かに癌を受け入れ、じっと死を待つ様子を日々見つめては、自分は畜生にも劣ると悟ったり、
赤ん坊の頃からの友人の死にショックを受け、床をたたいて泣いた一ヵ月後にテレビの馬鹿番組を見て大笑いしている自分に気づき、生きていることは残酷だと思ったり、
歳を重ねれば自然と賢くなるのではなく、馬鹿は際限なく馬鹿を繰り返し、何歳になっても馬鹿なのだとつぶやいたり。
60歳を過ぎてもああやって生きられると思うと、歳を重ねることが怖くなくなる気がするし、安心してお年寄りになれるように思う。他の著書も読んでみたくなった。
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当時息子が生まれてまだ3ヶ月で(夫の1回目のソウル駐在の辞令が出る1ヶ月前!)、妊娠中から老後が興味を持っていたのを思い出した。佐野さんはこの年の終わりにお亡くなりになったけれど、その後もわたしは佐野さんのエッセイを読み続け、ソウルにも7冊を連れてきてた。
常々、本の素晴らしさは必要とするときにそこにいてくれることだと思っているのだけど、佐野さんのこの1冊にもそうして出会ったんだなあと。
今日のバトンは、佐野さんとの出会いをくれた大学の後輩Sに渡します。賢く格好良く、それでいてとても愛らしい彼女には、本をはじめいろいろなことを教えてもらっています。いつもありがとう:):)

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