【エッセイ風】世界から出て卒業

【エッセイ風】世界から出て卒業

オーケストラの楽員が全身全霊で交響曲を奏で終え会場の止まない拍手・・・ロックコンサートでも、どんな音楽も、その中にいれば感動や熱狂。・・・・でも、どんな好きな音楽でも、どんなものでも、ある時、ふと、すっと何かが引くように消える時がある。すると、「これ何?」「この人達、何やってんの?」と醒めて感じる。一時の事で、また熱が戻る事もあれば、そこで別の世界に行ってしまう事もある。

 始めて相撲でも野球でもみたなら、最初は「何、これ、この人達、何やってんの?」と思うだろう。でも繰り返しみたり、説明されたりするうちに、だんだんと分かり、やがて熱狂の仲間に入る事もあるだろう。このように中に入る時があり、ふと外に出る事もある何かを「世界」と言う。オーケストラ音楽の世界、やら相撲の世界やら、盆栽の世界やら、文学の世界やら・・・人間はこんな世界のどれかに所属して、その中で生きている。世界は出入り自由かというと、入ったら出られないとか、入るのが困難とか、出入り自由な世界とかいろいろあるみたい。

こういう世界の事、哲学ではエクリチュールとか、パラダイムとか、業界とかいうみたいだけど。

 幼い頃から多趣味というか、気まぐれで続かない気質なのか、いろいろな世界に入ったけど、ふと出てしまい、二度と戻らなかったものとか、出入りを繰り返すとか、いろいろ。良い出方としては「卒業」がある。ある世界より、より大きな世界がある事に気付いて、大きな世界に出て行く。卒業である。

小学校から中学生の時は「園芸少年」で、世界の珍しい花とか野菜とか、種を買ってもらって育てるのに熱中していた。たくさん並んだ植木鉢を前にして、ある時ふと「それが、どうした・・・」みたいな事を感じる一瞬があって、やって来た事すべて、なんなんだろね・・と世界が切り替わった。そんな事しなくても、そこらに色々野生で花は咲いているし、それを見ていなかった事に気付いた。

こっちの方がきれいだし面白いし楽しいし・・・で、以後は観察系に切り替わり。それもさらに、保護とか、生態系全体を楽しむような世界に切り替わった。この世界に切り替わると、園芸世界は、なんだか狭くて、可哀想に思えてしまうので不思議。まあ卒業だったのだ。

いまでも、様々な世界の中にいる。仕事として中にいる世界もあるし、現代音楽とか、工芸の世界とか、入れたかどうかも分からないが中らしき所にいる。本の世界は少し卒業できたけど、時々戻っていくこともある。本で読みすぎると頭壊れるし・・・。

「世界」から時々出てみること、できたら卒業する事はお勧めする。これはひとつの能力。これができないと、怪しい宗教のマインドコントロールにひっかかったり、一生を小さな世界に大金を費やして終わるかも知れない。

まあ、大抵は何かの「世界」に捕まっていて、その筋から流れて来る情報を横流ししてワイワイと楽しんだり、世界改革とか、宇宙統一までいろいろ幻想世界を構築したりしている。SNSなんて便利なものが出来たので、こういう「世界」とかエクリチュールとか、遠目で観察できるのは、なかなか有意義だ。○○系、××世界、△△ワールド、いくつあるかな。どにに属しているか認識してるかな。まあ、みんな、卒業はしないだろうけど。

「他人の一番大切にしている事をみつけて、否定して上げる事・・・」ってのを仕事にしているとか言いふらしているけど、要するに、世界の外に出るお手伝いができたら良いかな・・・ってこと。まあ、99パーセント難しいけど、自分で、ふと気付くか、世界そのものが崩壊するしかないらしい。戦争が終わって多くの日本人が、ああいう世界の外に出たり、一部は卒業したりしたらしい。

まあ、こんな文章書いたりしているのも、親譲りで、ある伝統的世界なんだけど、ふと馬鹿馬鹿しく思う時もあるので、まあ良いかな。くだらないと言えば、くだらないし。

まあ、一番良いのは、人に言われずに、自分が今いる世界から出られる事、できれば卒業できれば良い。自分の居る世界を、一度確かめて、一度外に出てみたら・・・。これお勧め。

音楽の世界は出入りできるので、くだらん・・と思いつつ、これから音楽鑑賞でもしてみる。

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