生きる意味

自分は今年に入ってから特に生きる意味について考えるようになった。

1月末、大学の期末試験で採点基準が厳しい科目の勉強単位を取るために必死にやった。

そこで、単位のために勉強するのは誰のためだ?と思った。
先人たちは必用があったために学んでいたのに今の自分は何のために学んでいるのか。というか、この義務的な勉強は学びなのか、受動的でマイナスの感情を持つくらいなら高い学費を払ってまで行く必要があるのかと。

そして今、2ヶ月の長期休みの中にいる。


生きる意味を考えてみようと生まれた意味をまず考えることにした。

その結果、生まれた意味などない、という結果に行きついた。
なぜなら選べなくこの世に生まれ、自分というものが気づいたら作り上がっていたからだ。身体的にも精神的にも。

じゃあ、生きなくてもいいんじゃないかと思った。
だが、自分が今、生まれた意味がなければ生きる意味もないといって死んでしまうことで誰かにマイナスを与えてしまうのは違うと思った。

そこで生まれてしまった以上、なるだけ自分のことを好きでいて、ほかの人にもプラスを与えられる生き方をしたいと思った。

今の時代は細分化されそれぞれに名前がつけられそのおかげで心の持ち方が楽になることもあるが逆にうっとうしくなる時もあると思う。
だから幸せでいたい、幸せを与えたいではなくプラスの感情と表現する(もっと適切な表現あるかもしれないです、ときには細分化され名前がある表現もします)。

ではプラスでいるためにはどうしたらいいのか。
まずは健康が必用であると考えて健康とは何かを調べてみた。
WHOによると健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあることをいいますらしい。
そこでそれぞれの分野でそれぞれの健康になるためにはどうしたらいいかまとめてみてみようと試みたが途中で本当にネット上に答えがあるのかと疑問に持ち挫折した。
ただその中で多くを学び今まで自分の目に張り付いていた鱗を多少剥がすことが出来た。 

結局のところ人生の意味や生きる意味なんてのはなくて自分自身で頑張りたいことを決めてその自分に誠実に自分のできる範囲でできることをできるだけ全力で行い、どんな自分も自己受容で受け入れ、周りの人を尊敬し誰かにありがとうと感謝される行うことかなと自分の結論に至った。

だがこれはきっとこれから先、自分が今より経験を積むと変わってくると思うから変化を恐れず自分に対して縛りすぎずでも時には課題を課し取り組むことを見つけることが大切だと感じた。

だが、何をしても結局はみんな死んでしまうのだから何をしても意味ないのかなと思っている最中である。

今自分は、語学の学びが自分の考えを広げるために大事なことと決めているのにかったるいと逃げてほかの娯楽にいくも、やると決めたことに対して何もしていなく嫌気がさし、娯楽に意識を向け全力で楽しむことも出来ない。
だが語学をやったらやったで機械的なTOEICの点を取るためになり嫌気がさす。だから本質的な能力を手に入れようととりあえず単語を覚えるも今までは受け身の勉強をしていたためにやった感を味わえなく無力感に陥る。

結局は考えすぎとわかってはいるんだが。

わしはどこへいくのか。。。

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