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『鬼滅の刃』はマッチョなのか

マッチョという指摘は同感。ただ中学生(もしくは小学生。うちの娘は小学2年生だからドハマりしてる)が大好きな理由は割と理解できる。誰も言えないという「正解」で何を求められてるのかは、この場合、よくわかんないけど。

鬼滅の刃、普通にストーリーを書き連ねていったら「そんなマッチョな......」で終わるんだけど、実際にはその描写が結構「雑」というか深みがないというか。

いや、絵柄もクオリティ高いし、描くところはとても丁寧なんだけど、でも「そこ、もっと情感たっぷり、深く時間かけて掘り下げてくとこちゃうんか??」ってとこが妙にあっさりしまくってる。

ぼくは無限列車編で煉獄さんがいきなり出てきて、戦い、「強い」ということになっているが、それがどれだけ強いのか、正直そこまで説得力高く描かれる前に、過去エピソードもそんなに触れず(これはその後も大して触れられない)、戦闘終了したのを見て「間違えて1巻飛ばして読んだか?」と思ってしまった。

ジョジョ第二部でシーザーが死ぬときだって、もうちょい「何か」があったはず......。

腕がぶっとんだり、片目が潰れたり。呼吸もできず死にかけながらも「考えろ」「考えるんだ」と言いながら戦い続けるのが『鬼滅の刃』なので、マッチョと言うのはその通りなんだけど、でも、これをあんまり「シリアス」に見る気もしないというか。実際、娘や近所の小学生に話を聞いても、ほとんどだーれも「シリアス」に読んでない。

まず、「炭次郎」や「善逸」「しのぶ」といった人間が大正時代に存在していて、それが悲惨な境遇に置かれている(もちろん架空の存在としてではあるが)、という感じが全然しない。どちらかというと「炭次郎」は、この「鬼滅の刃本誌」という場所【では】こういうことを演じてます、という感じ。

実際、コミックス内では「キメツ学園」なる、同じキャラを使った学園設定を作者自身が展開していたり、その話が公式でノベライズされてたりする。好きな役者がもらってる「役どころ」の一つ。それが本誌連載、という感じなのだ。

そういう目線で見ると、というか、そう見えるわけだが、戦闘シーンも、あれ、完全に「殺陣」の世界ですよね? 技名叫びながら、斬りかかる。その実「今の何したことになったの?」がわかんないのは、車田正美からワンピースまで続くジャンプの正統だけど、『鬼滅の刃』も、読んでいて「今のワザ、何したん??」となることしばしば。それでもかっこいいから、全然気にならない。霹靂一閃!!(筆者は善逸推し)

読者の応援の仕方も、まるで宝塚なんですよね。好きなキャラ=役者がいて、それがストーリーの中で活躍する。でも、その活躍はそのキャラ=役者がその物語の中でもらった単なる役で、「善逸」を演じてる善逸自体はもっと別の場所にイデア的に存在している、という感じで楽しんでるように見受けられる。

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