世界を変えるOne By One

変化とは安っぽいチーズ。停滞とは酸味のある秘密。

ジョン=ジャック・コルベニスキー『Wide Wine World Word』

 変化というのは、ある日突然、劇的に起こる類のものではない。多くの人は、「一発逆転人生」みたいなものを望むが、ほとんどの場合、そんなことは起こらない。宝くじだって、初めて買って1等当選、そこからの人生が劇的に変化した。なんていう人はいないであろう。
 それまでの積み重ねが変化を起こすということに、気づいていない人々が多いように思えるのは、誰もが夢を見ることに没頭しているからであろうか。どこかで自分の人生が良い方向に進んでいくのではないかという淡い期待を抱きながら、平々凡々な人生を過ごしてしまう。振り返って「あのときああしておけば」と後悔しても遅いのである。
 変化を起こす人というのは、夢よりも現実を見る。安易な気持ちで「ビッグになる」とか、「大富豪になる」とは言わない。より具体的に「海賊王になる」とか、「IT社長になる」みたいに、ゴールと自分の立ち位置を明確に理解している。変化を起こす人は、そうした自分の立ち位置を少しずつ少しずつ変えながら、良いポジションを確保している。
 そうやって、『良いポジション』を日々探している人が、結局は自らを変化させるし、周囲を変化させる。そのポジションに立っているがゆえに、あらゆる変化の予兆を感じ取ることができるのだ。

 では、そのような変化を起こすためにはどうすればよいか。単純に『行動する』ことであろう。どれだけ変化を起こしたいと思っても、行動をしなければ意味がない。変化を起こしたいけれど行動をしない人のほとんどは「そうは言っても生活が・・・」とか、「オレには守るものが・・・」みたいに言い訳をする。いつまでも行動をしない人は、行動をしている人からみれば不思議に思えるであろう。だが、結局は本人の思いの強さみたいな曖昧な部分に全てが委ねられているから、行動を起こすも起こさないも、変化を望むも望まないも、すべてはその人次第である。
 しかしながら、行動を起こす気はあっても言い訳をする人は、何かとSNS上で不満を漏らしやすい。行動を起こすことのできない理由が自分にあるにも関わらず、「悪いのは国だ」、「悪いのは社会だ」、「悪いのは総理だ」などと、自分以外の周りが駄目だから自分が駄目になっているのだという論法で手当り次第、人に八つ当たりする。これでは、いつまで経っても成長しないし、変化を起こすことはできないであろう。

 世界をいきなり変えることなど誰にもできない。小さな小さな積み重ねによってしか、大きな変化を起こすことは不可能。雨垂れ石をも穿つというように、一つ一つを積み重ねていかなければならないのだ。
 今の若い人の話を聞くと、あまり変化を望んでいないように思う。入った会社で給料をもらい、自分の楽しみをちょっとずつ楽しんでいればそれで良いのである。私もそれを否定する気は一切ない。それが日本の社会の進む道であるならば致し方なしという思いである。
 日本という国は変えられなくても、自分の人生は容易に変えられる。私はそれを体現する。そのために、大きなリスクを取って変化するために挑むのである。安定を捨てて、常に何か身を強風の中にさらさなければ、人としての強みが増して行かないように思うのである。そうした危機感もあって、私は一つ一つ、自分の気持ちを確かめながら変化したいと強く望むようになった。
 汝、隣人を愛せよという言葉があるように、変化は些細な隣人への奉仕から始まるものなのだろう。世界中の人々のためになることはできなくても、身の回りの人間のためだけには、なんとか役に立てることもある。それはきっと、どんなことでも良いのだ。自分以外の誰かのために行動するとき、人は真に己の価値を知る。だから、諦めて、満足して、安定にしがみついていてはならない。寒風の中でさえもしっかと立っているような存在を目指したい。

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