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人を苛立たせる文章の書き方


「あいつはね、人の金で服も飯も家も買ってるんですよ。働きもしなければ、働く意欲すら見せない。大した能力もないくせに口にすることはいつもデカいことばかり。ああいう人を見ると私はね、本当に腹が立って仕方が無いんですよ。だってあいつは俺の税金で飯食ってるようなもんですからね。人間、働かないで楽しようなんて許せませんよ。一所懸命に働いて、汗水流して稼いだ金で飯を食うから美味いんでしょうよ。え?私ですか。私は早期リタイアしてましてね。働いていませんよ。自分の金で死ぬまで何もせずに生きて死ぬんですから。それはつまらないって?なんだこの野郎ぶっ殺すぞ」

峯岸達夫『FIREの共食い』

思わず注意したくなる書き方で炎上を狙う

なぜ苛立つ文章を読んでしまうのか

 世の中には読んでいると腹が立つ文章を書く人が少なからずいる。そのような文章を読むと思わず注意したくなるというのが善良な人々の思考である。
 ここでは、そのような善良な人々を引き付けるような腹立たしい文章の書き方を紹介するとともに、なぜそのような苛立つ文章に人はついつい口を挟んでしまうのか、ということについて考えてみたい。

 苛立つと一口に言っても、読者によってその定義は人それぞれであろう。例えば、何の実績も無い人間が「俺は一ヶ月後には総理大臣になる」と口にすれば「なれるわけねぇだろ」と苛立ったり、金持ちが豪遊しながら「社畜ども、今日もお仕事ご苦労」と口にすれば「見下しやがって」と苛立ったりする。

 SNSが無い時代では、そのような苛立ちというのは人知れず誰かに共有されて話のタネになるか、ひっそりと自分の心の中に留めておいて、童話「酸っぱい葡萄」のように「どうせこいつの人生は真っ暗だ」と一人結論付けておくことが出来たであろう。しかしながら、SNSでは誰かを苛立たせる文章を書く人間というのは、そのような愚痴や断定的な物言いに対しても一切怯むことなく、ひたすらに苛立つ文章を書き続けるから厄介である。

 ある側面から見れば、苛立つ文章を書けるというのは才能であると言える。少なからず人の心をザワつかせるだけの能力があるという点において、それを支持する人間も現れてくるであろう。信じられないかもしれないが事実である。どんなことでも才能と言い切ってしまえば聞こえは良いかもしれないが、やはり人を苛立たせる文章を書くことにはリスクが多いように思うのである。
  というのも、善良な市民からの攻撃を受けてしまうからだ。善良な市民はその真面目さから、レールを外れている人や矛盾した発言を繰り返す人間を許すことができない。このような善良な市民は言い換えれば『分からせたい衝動』を持った人たちであると言える。
 この苛立たしい文章を書いた馬鹿を正してやりたい。意識無意識に関わらず、苛立たしい文章にコメントをする人間の根底には、そのような気持ちがある。
 『分からせたい衝動』が醸成された理由は分からないが、そのような衝動をいつでも発散できるように待ち構えている人々がたくさんいるのである。そのような人達と仲良くするためには、苛立たしい文章を書かないように気をつけなければならないだろう。
 そのような点から言っても、どのような文章が苛立たしさを生み出してしまうのか。順を追って説明したい。

自分を棚にあげると、苛立たしい

 自分のことを棚に上げて文章を書くと、それは苛立たしい文章になる可能性を秘めている。例えば、

(過去に様々に行動はしたけれど、全く計画性が無く、すぐに計画を断念した人物による発言)
「お前さ、行動力は凄いけど計画性が全くないな。褒められたもんじゃないよこりゃ」

 これに対する苛立ちは「お前が言うなよ」である。自分自身も行動力はあったかもしれないが全く計画性が無かったために、失敗した計画があるではないか。という情報に基づいて、発言者の発言に苛立つ。
 ゆえに、苛立たせる発言をしたければ『自分のことは一度忘れて、発言をする』ことが必要である。

自分ってこういう人間なんで、というと苛立たしい

 会話をしたり、質問をしたりすると、「いや、僕ってこういう人間なんで」と言う人がいる。例えば、

「君はどうしてそんなに本を読んでいるの?」
「え?いや、本が好きなんで、以上。って感じなんですけど。っていうか、僕って本が好きな人間なんですよ。本を読むのも書くのも好きで。僕って単細胞なんで、本って知的!って感じで読んでるわけなんです」
「は、はあ・・・」
「いや、シンプルなんですよ。本好き→本読みたい。これだけっす。え、てか僕の性格知ってますよね?僕ってめっちゃ馬鹿じゃないすか。だから馬鹿なりに読んでんすよ。馬鹿だから賢くなりてぇって。それだけっす」
「う、うん・・・」

 これに対する苛立ちは「お前のことなんか知るかボケ」なのだが、苛立たしい文章を書く人間というのは、これが理解できていない。
 自分のことを世界中の人間が理解しているかのような物言いをするのである。「僕ってこういう人間なんで」の発言の裏には「俺のことわかってると思ってたけど、分かってないようだから敢えて言うわ」という意味が込められているのであり、「俺のことを分かれよ。受け入れろよ」という傲慢さもあるのである。
 よって、人を苛立たせたいときは「僕って〇〇なんで」という言葉を多用すると良い。言えば言うほど「ゴミみたいな情報を俺に伝えてくんなよ」という苛立ちを相手に貯めることができる。

全く自分に無関係な偉業を、自分ごとのように捉えて発言すると苛立たしい

 オリンピックやサッカーのワールドカップなど、どのようなことでも良いのだが、誰かが成し遂げた偉業に対して、それを自分ごとのように捉えた発言をすると苛立たしさを生み出せる。
 例えば

「いやー!パリ五輪の日本代表選手!皆さん、マジで糞みたいな誤審の中でよく頑張った!本当にお疲れ様!ってか俺たちも糞上司の誤審ばりのミス指示に耐えて、明日からも頑張るべ!次は俺たちが会社で金!」

 この苛立たしさは「お前はなんもやってねぇだろ」である。
 確かにパリ五輪の選手に限らず、誰かが頑張った姿を見て影響を受けることは確かにある。だが、それをネタにして上司を批判したりするのはお門違いであるように思うのである。このように、苛立たしい文章を書くためには、「何か偉業をネタに、日常生活で不満を持っていることにぶつける」という技術が必要になる。 

1+1=2みたいなことを言うと、苛立たしい

 先に書いた『自分ってこういう人間なんで』という点と重なるが、このようないわゆるパワープレイな圧力で発言をすると苛立たしさを生む。
 例えば、

 「は?目玉焼きにコショウとかソースをかける人もいるとか知らねぇよ。黙れよ。お前、全然わかってねぇな。目玉焼きにソースとかコショウかける人間の多い少ないなんて俺が醤油をかけるかどうかには1ミリも影響を与えないんだよ。目玉焼きにコショウやソースをかけない理由は、醤油が好きだから。そんだけ」

 この苛立たしさは「1+1=2みたいなこと言うなよ」である。
 一見すれば、力強く鋭い発言をしているように見えるが、実際は国語の文章としてゼロ点である。好きな理由が説明されていないのである。また、コショウやソースを目玉焼きにかける人間を批判しているだけで、なぜそれらより醤油が好きなのかということの理由が不明である。善良な市民であれば「コショウとソースも受け入れろよ。醤油もいいけど、俺らも受け入れろよ」と分からせたくなる。
 よって、苛立たしい文章を書くためには、『あえて理由を説明せず、1+1=2みたいなことを言う』必要がある。絶対的に正しい真理だろ!と意見を押し付けることによって、相手を苛立たせることができる。

相手を待たせた後で、意味不明なことを言うと、苛立たしい

 人と会話をしているときに、こんなことを言う人は相手を苛立たせる才能があるかもしれない。

「え、ちょっと待って。アイスクリームって神の創造物かもしれない?」
「ちょっと待って!シャワーと滝って似てない!?」
「ちょっと待って。エスカレーターとエレベーターって、どっちが先?」
「ちょっと待って。これマジで美味しい」

 これに対する苛立たしさは「待たせることか?」である。
 口癖のように、何かしら驚くことに出くわすと「ちょっと待って」と言った後で、大して面白くも無い意味不明なことを言うと苛立たしい。なぜ待たされたのかという苛立ちと、待ってはみたものの、その程度かというがっかり感がある。
 これはとても実践しやすいため、非常に頻繁に使われる。
 ちょっと待って。この文章、もうここまで読んでる人いないんじゃない?

諦めた方が良いことが明らかな状況で、諦めたら試合終了と言うと苛立たしい

 どれだけ頑張っても厳しい道のりである状況にも関わらず、

 「は?諦めたら試合終了だろ。道は遠いけど、やり続けるしかねぇんだよ。あと3万突っ込んだら、絶対大当たりくるからぁ!」

 これに対する苛立たしさは「もう諦めろ」である。
 「諦めたら試合終了」というSLAMDUNKの安西先生の名言をどこで知ったのか覚えていて、それだけを盾にして諦めが悪い人たちが少なからず存在する。ギャンブルに負け続けながらも「諦めたらそこで試合終了だよ」とか、どう見ても負け試合なのに「諦めたら試合終了」と言い続けたり、なんだか良くわかんないけど「諦めたら試合終了だぞ」とか言うと、相手を苛立たせることができる。
 ゆえに、人を苛立たせたいときは諦めた方が良いことが分かった段階で「諦めたら試合終了」と悪あがきをしてみることだ。

上記を踏まえて苛立たしい文章をAIに書かせてみた結果。

上記の内容を学ばせてAIに文章を書いてもらった。以下がAIが提案する、苛立たしい文章である。

「みんな、どうせ君たちには無理なんだから、そんなに頑張らなくていいんだよ。」

  • まず、これで炎上しないわけがありませんよね。まるで他人を見下し、自分が何でも知っているかのような態度です。


「正直言って、君たちみたいな人には言ってもわからないと思うけど、やっぱり言わないとダメだからさ。」

  • こんな言い方をされたら、誰だって腹が立つに決まっています。他人の理解力を否定しつつ、自分は高みから物を言う。これこそが苛立ちのもとです。


「いや、どうせお前らには難しすぎる話だからやめとくわ。」

  • わざわざ相手をバカにした上で話を打ち切る。こんなふうに他人を下に見た発言が、読者をイラつかせるのは間違いありません。


「今さら言っても無駄だろうけど、そんなことやっても意味ないんだよ。」

  • 相手の努力や意図を完全に否定することで、相手のモチベーションを一気に奪う。このような文章は、必ず反感を買うでしょう。


「ま、どうせお前には関係ない話だし、気にすることないけどな。」

  • 他人の感情を軽視し、冷たく切り捨てる。これもまた、苛立ちを生む典型的な文章です。


このように、人を苛立たせるためには、相手を見下す、努力を否定する、理解力を軽んじるなど、ネガティブな態度や発言が効果的です。ただし、このような文章は他人との関係を悪化させるだけでなく、自分の評価も下げるリスクが高いため、使用には十分な注意が必要です。

これは主に私の分類で言う『1+1=2みたいなことを言う』例に含まれる。

読者も人を苛立たせる文章を書くか、苛立たせる文章を発見する目安として、本記事を参考にして様々な文章を読んでみよう。ま、君たちには分からないと思うけどね。


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