オージーワーホリ道中記~酒によるダメ人間のススメ編~

「人間というのは、本来、なんでも汚してきた生き物なんですね。というのも、皆さんが飲む水、食べ物、空気、これはみんな人間が汚しているんですね。そこの君が飲んでいるコーラ。それも水をコカで汚したものが始まりです。コカが何かって?いいんです、そんなことは知らなくても。あ、あと私がお昼に食べようと思っているエビチリ。これも海老を汚していますね。ブロッコリーや人参も一緒に汚しているんです。あと皆さんが吸っている空気。これも昔は公害と言って有名なものは足尾銅山鉱毒事件ですね。なんでもかんでも人間は汚して発展してきました。男も女を汚し、女も男を汚したんですね。この汚しの歴史こそが人類の成してきたことなんですね。今、皆さんも私の話を聞いたのですから脳が汚れたと言えるでしょう」
 教授は酒を飲みながら能書きを垂れていた。一人の生徒が手を上げ、
「先生!どうして人類は色んなものを汚してきたんでしょうか?」
すると教授はグイっと酒を飲み干して
「汚さねぇとつまらねぇからだよ」

峯岸達夫『潔癖社会の反乱者たち』

 世間では『酒が人をダメにする』なんてことが言われているが、あれはまったくのデタラメである。ダメな人間が酒を飲むのであって、酒様に非はない。そもそもダメな人間というのはあらゆることを他人のせいにして自分を正当化するから、酒様にとってみればいい迷惑である。ダメ人間は酒様を飲むなと言ってやりたいのだが、悲しきかな、人間の殆どはダメ人間であるから酒様は避けては通れない。口が裂けても『酒様は飲んじゃダメ』なんてことは言えないのである。
 日本では酒様は成人してからと決まっている。あれは成人になったら人間の殆どはダメ人間になると賢い人が知っていたのである。賢い人は酒様など飲まない。なぜなら酒様は体に良くないことを知っているからである。酒様が体に良くないことはあらゆることが証明している。まず肝臓に負担がかかり高血圧の原因にもなり免疫力も低下、精神状態もおかしくなり、カロリーが高いから太りやすくなる。はっきり言って毒である。酒様を飲むダメ人間どもは毒を飲んでいるのである。
 毒と分かっていてもダメ人間どもは酒様を飲む。馬鹿である。救いようのない馬鹿である。だが、そんな馬鹿がこの世に多いのはなぜだろうか。それは全て酒様のやさしさに起因する。
 ダメ人間は酒様のやさしさに甘えて、ついつい酒様を飲んでしまうのである。毒と分かっていようと、自分が馬鹿だとわかっていようと、飲めば良い気持ちにしてくれる酒様に抱かれ、つかの間の幸福感に酔い痴れる。この幻の幸福感に馬鹿なダメ人間どもは騙されるのである。

 かくいう私も、騙された側の人間である。
 敬虔なる読者よ。私も君たちの仲間である。
 どうか後ろ指を指さずに聞いてほしい。

 酒様を飲む奴はダメ人間だと言ったが、実は酒様を飲まないやつもダメ人間なのである。なぜなら、酒様のやさしさを知らない人間は他人にやさしくできないからである。近頃では酒席に誘えば何かと理屈をつけて断るというけしからん若輩者が増えているという。毒を飲めと言っているようなものなのだから断るのは当然だろうというのが彼らの理屈である。これは本当に許しがたい低能である。このような輩は自分が真水か何かと勘違いしている。汚れなき臓物に汚れなき魂が宿ると勘違いをしているのである。
 今日の医療では毒を以て毒を制すというように、悪い菌が体に入ったとき、別の悪い菌を入れて免疫力を活性化させるという治療がある。それがワクチンであったり、抗がん剤治療、放射線治療などと呼ばれているのだ。
 酒様についても全く同様である。毒を以て毒を制すのである。酒席に誘われて断るようなダメ人間は、ワクチンを打たずに自己免疫力のみで病原菌に挑むと決意しているようなものだ。これは馬鹿としか言いようがない。わざわざ治療してやると言っているのを断る頑固な患者である。
 酒様を飲まないダメ人間は、毒を悪いものだと決めつけている。病気になって一度も薬を飲まなかった人間がこの世にいるのだろうか。すべての人間は病気になったら薬を飲むであろう。薬も毒である。本来なら飲まなくて良いものである。縄文時代に薬なんて概念があっただろうか。薬とは人類の叡智の結晶なのである。毒であっても人間の身体を救うという矛盾を生み出したのが人類なのである。だから毒は完全な悪とは言えない。酒様も薬と同様に、毒ではあるが人を救うのである。
 人を救う酒様は人を救うがゆえにダメ人間の心の拠り所となるのである。一口飲めば気が大きくなり、顔が赤くなって普段言えなかったようなことが言えるようになる。酒席では無礼講などと言って上司が新入社員に無礼を働くことを許す。だが、私の経験上では無礼講などというのは建前で、酒席で無礼を働けばきっちりと罰が待っているから気をつけよ。
 酒様を飲む人間も飲まない人間もダメ人間であるのだから、どうせなら酒様を飲む人間である方が得である。酒様は今や広く生活に浸透し、それだけで商売が成り立つのである。売る方も買う方も馬鹿なのだから、どうせなら馬鹿同士仲良くして酒様の味に酔えば良いのである。
 そもそも、酒様を飲むと酔う。漢字を見よ。三が九十になっている。酒様を飲めば酔って30倍なのである。ではこの間にある酉とは何か。これは『とり』と読み、まさしく鳥である。繁栄や豊穣の象徴であり、日本では酉の市などと言って商売繁盛を願う祭りもある。つまりは酒様を飲んで酔うということは、繁栄を意味するのである。
 考えてみれば、酒様を飲んだ人間は様々な面で繁盛している。公園でストロングゼロを飲む家無き人々は幸せであり繁盛している。高級なバーでウイスキーを飲む人間は自らの人生に幸せを感じている。高層ビルの屋上でブランデーを嗜んだ石原裕次郎が繁栄しなかったと言えようか?薄汚い居酒屋で薄いハイボールを飲みながら夢を彼女に語る金髪のバンドマンが不幸せで幸福ではないと言えようか?
 否、すべて幸福であり繁盛しているのである。その証拠に酒様の中で良く好まれているビールは金色である。あれこそ正に五穀豊穣の象徴と言えるのではないだろうか。異性同士の会話、同性同士の会話。そこに酒様がいるだけで絵になるではないか。
 日本では仏壇にお神酒を供える。祭りや特別な行事の際に人は酒様を供えるのである。神もまた酒様を飲む。神もまたダメなのである。
 諸君、君たちはダメな神によるダメ人間どもの世界に生きているのだから、今日もまた酒様を飲んでとことんまでダメ人間になろうではないか。


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