バス停のカサノヴァ
私の他に誰もいないバス停に立ち、来るべきはずのバスを待っているのだが、やってくる気配はなく、かれこれ2時間以上、雨は降り続いていた。それは決して失恋をした女の涙のように優しいものではなく、むしろしつこく付きまとってくる男に嫌気がさし、どうにかして振り払いたいという怒りが込められているかのような激しい雨だった。
それでも、視界が遮られて何も見えないわけではなかった。時々、怒りに身を任せた女はありとあらゆる手段でこちらの否を認めさせようとするが、そのような様子はなかった。ただ自分の中に溜まった怒りやストレスを全て吐き出してしまえば、その後にはスッキリするだろうと思えるような希望が見えた。
バスはまだやって来なかった。時刻表の曜日と来るはずの時間を確認する。とっくに到着していてもおかしくなかった。おかしいなと思ってから、すでに2時間以上が経過している。あいにく携帯の充電は切れ、交通情報を知ることができない。
もはや、バスがやってくることを祈る以外に私に出来ることはなかった。
こういう時のためにと鞄の中から本を取り出す。『我が生涯の物語』(ジャコモ・カサノヴァ著)のページを開いて、私は途中まで読んでいたページを開き、カサノヴァの記した物語を読み始めた。
一人旅には、カサノヴァのような人間の物語が欠かせない。その時代の、豊かな男女関係に思いを馳せるだけでも、旅における情熱や冒険心というものが違ってくる。何の目的もなく旅をすることと、カサノヴァの経験を脳裏に留めておくとでは、旅の彩りや湿度が変わってくる。それは、単にお気に入りの帽子を被って出かけることと同じではない。確実に、何か人の目には見えない凶暴な動物を放つタイミングを狙っているかのような、ある種の旅芸人の気持ちと同じである。どうやって、この凶暴な動物で相手を満足させ、そして自分自身も満足するかを考える。旅芸人は常に、満足させることにも、満足することにも飢えている。
激しさを増す雨の中、私は本の世界に没頭することが出来ず、妄想に耽った。
もしも、美しい女性がバス停にやってきて、私の読んでいる本に興味を示し、その本の内容を詳細に尋ねてくるようなことがあったら、私はどのような反応をするだろうか。おそらくは、バスが永遠にやってこないことを祈るだろう。周囲には人の住んでいる気配はなく、ただ静かに山と田んぼが広がっているだけである。その風景の中に、申し訳程度に細い道があって、そこをバスが通る予定になっている。そして、停まるはずのバス停で私はバスを待っている。そこに立つ枯れ木のような私に、一羽の美しい鳥のような女が羽休めにやってくるとは思えない。
だからこそ、そのような状況を想像する。
「カサノヴァの本を、お読みなんですね」
女に教養があって、瞬時にカサノヴァの本を読んでいると分かったら、もはや私にはなすすべがない。
「ええ、家内が読めとうるさくて」
もちろん、私に妻などいない。しかし、ここは妄想である。妻帯者であると嘘をつくことによって、見知らぬ女に「この男は、女を知っているのかもしれない」と思わせることが出来るかもしれないという浅知恵が働く。
「あら、素敵な奥様なんですね。きっと夫婦仲もよろしいんでしょう?」
いじわるく、女は笑う。その笑みは雨の中でしっとりと潤いを帯びている。この世でこれ以上の美しい曲線は無いとさえ思える口角を色っぽくつりあげて、女は誘うように私の読んでいるページに目を落とす。
「ねえ、好きな場面を読んでくださらないかしら」
「いえ、まだ読み始めたばかりでして」
ここでも嘘をつく。本当は一度全てを読み終えている。だから、ぼんやりと好きな場面は想像がついている。思い切って、カサノヴァの誠実さによって起こった悲劇の場面を朗読しようかと思ったが、そのときには女のほうの指が、私の読んでいる本に触れて、
「でしたら、わたしの好きな場面を読んでさしあげましょうか」
私の手に触れて、私の心の奥底を確かめるかのように目と目が合った。女はいじわるく笑って、本を私から奪うと、カサノヴァの人生においてもっとも輝かしく、すべての男が嫉妬するであろう場面を、ゆっくりと声に出して読み始めた。
そこで、バスが来た。
私はバスに乗り込んだ。席に座って窓からバス停を眺めると、女は舌を出して片目を閉じ、閉じた方の手の人差し指を涙ぼくろの辺りに置いている。
「あっかんべー」
そうしてバスは走りだし、私の妄想は雨の中に消えていく。
どうやらもうすぐ、晴れてくるらしい。
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