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マン・レイとは何者? 彼が愛した5人の「女(ミューズ)」たち

ミューズ【Muse】 
ギリシャ神話で、文芸・学術・音楽・舞踏などをつかさどる女神ムーサの英語名。転じて、芸術家にインスピレーションを与える女性のこと

マン・レイ(1890〜1976年)、この不思議な響きのアーティストを知ったのは、高校時代に『アングルのヴァイオリン』を見たことがきっかけでした。

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『アングルのヴァイオリン』1924年

ウエストのくびれが楽器のフォルムにぴったり重なり、アングルの裸婦像にも重なるダブルイメージで、すっかり虜になってしまいました。

時は経ち、2010年 国立新美術館で「マン・レイ展 知られざる創作の秘密」が開催された時、ミステリアスな彼の作品を堪能できると喜びました。
けれども膨大なマン・レイ作品が展示される一方、本人についての解説が少なく、マン・レイはどんな人間だったのかが、イマイチわからない不完全燃焼で終了。そもそも「マン・レイ」が芸名なのか本名なのかもあやふやな状態で、さらに12年が経過しました。 

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そして現在、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「マン・レイと女性たち」。マン・レイの作品を、彼と関わりを持った女性たちを通して紹介する展覧会。結果的にこのアプローチが彼の人物像を理解するのに最適でした。

名前の件も、彼が生まれた時の名前はエマニュエル・ラドニツキーというアメリカ人。実家がレイに改姓した事を切っ掛けに、名前も「マン」に改名したそう。すなわち「マン・レイ」は本名。

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『カメラを持つセルフポートレート』 1932-25年

本人は姓は無く、ただの「マン・レイ」だと言い張っていたそう。このポートレートのように、どこか非現実的な存在に自分を留めておきたかったのかもしれないです。まるで現代のVTuberたちのように。

展覧会ではマン・レイと関わりの深い4(+1)人の女性が紹介されています。

一人目がキキ・ド・モンパルナス。 

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『キキ・ド・モンパルナス』1924年

エコール・ド・パリのアーティストたちにインスピレーションを与え、数多くの作品に登場した伝説的モデル。アメリカから渡仏したマン・レイが、カフェで喧嘩を売っているキキの姿に一目ぼれ。そのまま7年間同棲して、小悪魔的・神秘的な彼女の魅力を作品に残しました。

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『黒と白』1926年

しかし猫のように自由奔放な彼女を、一か所に留めることは出来ず、彼女の浮気をきっかけに破局。

続いてリー・ミラー。

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『リー・ミラー(ソラリゼーション)』1929年

アメリカのVOGUEモデルの経歴を持ちながら、写真家になろうと決意しマン・レイのアトリエに「弟子にしてください」と突撃し、晴れて助手になった才媛。彼女のスキルの高さは、後のマン・レイの十八番となる、光を過度露光しネガポジを反転させる技法「ソラリゼーション」を、彼との共同作業で開発したことからも伝わってきます。

そんな魅力的なリーに、マン・レイはアシスタント以上の関係になる事を求めていたけれども、自立心の強い彼女はそれに応じず3年で別れることに。

その後、彼女はアメリカに戻り、世界でも指折りの女性カメラマンとして活躍しました。

3人目の女性がアディ・フィドラン。

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『アドリエンヌ・フィドラン』 1937年

カリブ海出身のダンサー。白人モデル一辺倒の当時のファッション誌のモデルとして、マン・レイは彼女の健康的な魅力に満ちたスナップを数多く撮影。

明るく穏やかな性格で、マン・レイとはふた回りも歳の離れたせいもあり、前の二人と異なり、二人の関係も上手くいっていたそう。

しかし1940年に世界大戦の足音が忍び寄り、危険を感じたマン・レイはアメリカに帰国を決心。アディはギリギリまで迷っていたが、家族を置いていけずフランスに残る事に。
その後アディは別の男性と結婚したけれども、パリに残したマン・レイの作品を大切に守り通したそうです。

そして4人目が、米国に帰国後に出会い、妻となったジュリエット。

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『ジュリエット(写真集『ジュリエットの50の顔』より)』1943年

アートに関してフランスよりも保守的だった40年代のアメリカ。そんな状況に鬱屈していたマン・レイに、モデルとして紹介された女性がジュリエットでした。二人は意気投合してハリウッドで同棲を開始。戦後の1946年には晴れて結婚もしました。

戦争が終わったら、すぐに自由なパリに戻りたかったマン・レイだが、ハリウッドの地を好んでいたジュリエットのために、10年近くアメリカ生活を続けました。
それでもパリへの想いは抑えきれず、今度は妻が折れる形で1951年にパリに戻り、そのまま永住する事に。1976年にマン・レイが亡くなるまでずっとジュリエットが傍に付き添い、のちにジュリエットが亡くなった時は、マン・レイのお墓の隣に葬られ、彼女の墓石には「また一緒に」と刻まれたそう。
まさに生涯の「伴侶」に相応しい関係でした。

ここまで書いてきて、マン・レイの性格が何となくイメージできるようになりました。

とにかく真面目で、女と別れた後も忘れられず、メソメソする弱い部分もある。けれど彼の一番の美点は、付き合った女性たちの意思を尊重したところ。
常に自らが優位に立ち、妻・愛人をインスピレーションの源として消費し尽くしたピカソ(飽きるとポイ)に比べれば、はるかに誠実な性格の持ち主だと想像できます。

最後に自分が考えるマン・レイの人生で一番の影響を与えたミューズを紹介。その名はローズ・セラヴィ。

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『ローズ・セラヴィの肖像』1921年

フランスからアメリカへと渡り、ニューヨークで画家を目指す若きマン・レイと出会います。圧倒的な才能とユーモアで、渡米前から美術界に衝撃を与えていたローズにローズにマン・レイはすっかり虜に。彼女の生み出した「レディメイド」の手法に影響を受け、マン・レイは自分の作風をつかみ始めます。

何を隠そうローズとは、20世紀美術の巨人マルセル・デュシャンのもう一つの姿。パリに戻るデュシャンの後を追うようにマン・レイもフランスに渡り、デュシャンが亡くなるまで唯一無二の親友となりました。

デュシャンの他にも、音楽家のエリック・サティ、デザイナーのココ・シャネル、富豪でコレクターのペギー・グッゲンハイム、etc. マン・レイが生涯で築いた華麗なる人脈は、才能はもちろんのこと、彼自身の誠実な性格が皆に好かれた証拠なのかもしれません。

今まで、「アーティスト=才能は素晴らしいがエゴイスティックな人間」というイメージがあったけれど、この展覧会を通じ、それが思い込みに過ぎないことを知りました。

結論:才能も大事だが、人間性も大切!

マン・レイと女性たち

会期:2021年7月13日(火)~9月6日(月)※7/20(火)のみ休館
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
開館時間:10:00-18:00 (最終入館は17:30まで)
金・土曜日は21:00まで(最終入館は20:30まで)
展覧会ウェブサイト:https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_manray/
日時予約制 *当日、指定枠に空きがある場合は予約無しで入場可。


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