2021/08/28 手記「僕もあなたも、いろいろとギリギリでしょう」

むなしい、と思う。そんな気持ちでこの文を書いた。

聞くところによると、デルタ株というのはこれまでのアルファ株とは実質的に全く違うウイルスとして考えたほうがいいらしい。

感染力は2倍、増殖力は1200倍。
…まあ、「感染力」「増殖力」を定義できない自分がこんな数字を覚えてどうなのかというところである。
何はともあれ、自分としては今の感染症事情について、これまでと同じではないということを納得するだけの数値的根拠が得られればそれで充分なのである。

とは言っても、この奇妙なウイルスが流行り始めたあたりから、外で購入してきたものは一日も欠かさず除菌液で拭いてから家の中に持ち込んでいる。
食品の包まれたラップなんかもすべて拭く。
手洗いうがいは当然。帰ったその足でシャワーに臨む。

履いていた靴下はすぐ脱ぎ、外と中の境界線を明確にして、どこに外からのものが触れたかどうかを同居人と一つ一つ確かめながら除菌生活を営んでいる。
やり始めたときは気の狂いそうだったが、一年経つ頃には随分と手慣れたものになった。それでも、時間的精神的負荷は決して小さくなってはいない。

外では、素手でものを食べるということを完全に禁じた。
流通の過程で不特定多数が触れた外袋を触った手でものを口に運んだり、目などの粘膜を掻いたりすることが感染に直結するのを知っているから。
僕は目や鼻をすぐ掻く癖があるので、とにかく「我慢」して習慣を修正した。

感染しないようにするための努力は怠っていない。
努力、というより、明らかな経路を断っているだけだけれども。
少なくとも今現在感染せずに済んでいるのは、この奇妙な習慣のおかげと思うようにしている。

悪影響がないわけではない。
やはり、気持ちが穏やかになる期間が随分減った。
なんとなく、忙しい状態が収まらなくなった。
同居人との喧嘩も増えた。
それでも、今は幾分落ち着いた。

何をやっているんだろう、と度々思う。
そして、きっとこうしているうちに自分自身の免疫力は見えない形で落ちているのだろう。正直、やりすぎだ。
だが、これだけ自宅療養で死んでいる人の話を多く聞くと、やはり本能が勝つ。

僕は心肺機能が決して強くはないから、かかるわけにはいかないのだ。
まだ完成していないレコードがあるし、成したいことはほとんど成せていない。
それも天命というなら、一体誰に文句を言えよう。

何を書きたくてこの文章を書いているかというと、やはり「むなしい」という感情を表したかったからだと思う。
正直、ここ1年は生きている心地がしないのだ。

なんのために東京に来て音楽をやっている。
どれだけ人が離れただろう。
ミュージックシーンに人は戻ってくるのだろうか。
知人がどんどん感染していく。
控えめに言って、たぶんすでに僕は気が狂っていると思う。

その気が狂った状態から、今週少しだけ気持ちを取り戻せた。
週末、全身全霊でレコーディングに臨んだからだと思う。

自分自身が生きている意義は、音楽でしか取り戻せなかった。
逆に、音楽で取り戻すことができた。

政府が。
自治体が。
オリンピック協会が。
…なにかに責任を問うということは、もう意味を感じない。
彼らは、僕ではないからだ。
この世の中がどんなふうに姿かたちを変えようと、僕は僕と僕の大切な人のために生きていく。

もっと音のことを考えたい。
もっと密度を上げたい。
もっと美味しい料理を作りたい。
もっと誰かと繋がりたい。

そんなことを考えていた、初秋の風を感じる夜。
絶望を感じる前に、僕は何かをしっかり愛したい。

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