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2021/06/19 即興詩「仲間」

仲間入りしたかった
ただそれだけの気持ちに
自分で
勝手に
いろんなものをくっつけた

どうして誰も認めてくれないの
どうせ私はだめだから
どうしたらみんなと仲良くできるの
たくさんの「どう」は
何の解決にも向かうことなく
私の中に蓄積し
長い年月を経て
無気力へと変わっていった

ただ仲間入りしたかった
みんなと楽しくしたかった
そのためには
そのためにも
そのためなら
私の喜びのためではなく
誰かの喜びのために
知らない間に 私を捨てた

誰かが喜ばなかったから
私の意義が 尽きてしまった
本当にそうだろうか
かつて 私は 私のために
私を捨てただけ
ならもう一度 拾えばいい

仲間入りは出来なかったけど
きっと別で探せばいい
一度捨ててしまった私を
私がもう一度 使ってあげればいい

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いつもは、即興で10分くらいで書くように心がけていますが、今回はそうはいかなかった。

無意識に決めている「パターン」みたいなのがあるのですが、それに乗っちゃうと「操作」されているような感じになって、内容がちぐはぐしてしまう。
そこからの修正は、大変な気力と勇気が要ります。

坂口恭平さんが言う「自分じゃない何かに書かされている感覚」と言うものを自分も大事にしていて、そこに乗っかると流れるように筆が進みます。(スマホやパソコンでも『筆』って言っていいんでしょうか)

あくまで感覚ですが、作曲のときもそうなんですけど、自分の体を使って何かが歌となってひとりでに出ていくような感覚があります。
その感覚は、リラックスしていないとなかなかできません。
お部屋の片付けをしたり、コーヒーを飲んだり、外に出て植物を触ったりして、自分のエネルギーのバランスを整えます。

そうやって整えていった時に、気分良く、調子良く「書かされる」ことができる。
アウトプットは必ず必要です。
それも、坂口さんの作品が教えてくれたというか、気づかせてくれたことでした。

今になっては、そんなふうにして体調を整えていくことが、僕にとって「生活する」ことなのかもしれません。

今回の詩でいえば、初めに抱いたイメージに囚われすぎて、本当は好き勝手に違った方向に向かいたいのに、修正しようと踏ん張っていっているような、そんな違和感がありました。

あくまで、流れ出るものをアウトプットする。
その感覚を、忘れないようにしたいものです。

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