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日記10月20日(日)良い文章ってなんだろう。

今日は、文章のことばかり考えていた。
と書くと、なんだか凄みがあるが、要するに特にやることがなかったのだ。

寒くなりましたね、急に、体がびっくりして目が覚めました。
お湯を飲んで、そのままスタバへ。
朝読書をしてきました。あたたかい珈琲がしみわたる。あと日曜の朝は静かで良い。

そのあとは、文学フリマの原稿を書いて、お昼寝をして、
また書いて、外の空気を吸って、また書いて。

あれ、これ昨日と同じことしていないか。
まいったな、変わり映えのない人生に幸あれ。

良い文章とはなんだろう、と思いながらも、やっぱり自由に書くのが一番楽しいよなと思って、書き上げた原稿を読んでみたのだが、絶妙に気持ち悪い感じになってしまった。狙って絶妙な気持ち悪さというのは多分出せないと思うので、採用しようと思ったのだが、それはつまり素で気持ち悪い人間だということだ。仕方ない、受け入れよう。

だが、ある意味では、書き手には、ちょっと気持ち悪い感じで堂々と書いちゃう精神というのが必要なのではないかと思っている。
小説には間違いなく必要な要素だと思う。
ただ、エッセーでやってしまうと本当にただの気持ち悪い中年男性という感じになってしまいそうだが、もう仕方ない。書くということは、自分を曝け出すこと、でしかない。

僕は、作曲もするのだが、曲を作るという行為は、ある意味では「とても恥ずかしいことを堂々とやってしまうこと」だと思っている。
これは愛の旋律、とか悲しみに耽る和声、とか、べつにそんなことは考えないけどね。
基本楽器で演奏するものしか書かないのだが、歌詞というのはさらに踏み込んだ行為だろうなと思う。

うまくいえないのだけれど、創作においては、良い意味でちょっとの気持ち悪さを表現することの重要性が問われるのかもしれないなと思った。
それが清々しい気持ち悪さなのか、ねっとりとした気持ち悪さなのかでその人の作風になっていくのだろうなと思った日曜日でした。


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