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去年のヒットソング覚えてる?

音楽は、聞こえてくるが、聴いていないのでは。

散歩をしていたら、気がつくとそんなことを考えていた。

僕が大学生になった頃は、三宮のタワレコに行ってCDを購入したり、近所のTSUTAYAでCDを借りて、ウォークマンに入れて音楽を聴いていた。
そういう行為がまだ生き残っていた時代だ。最近そういう機会が一気に減ってしまったなあとしみじみしている。友達同士でCDを貸し借りする、なんてことも、もうなくなってしまった。

その昔は、カセットテープにお気に入りのプレイリストを作って好きな人にあげたりしていたらしい。良い時代だ。何かのドラマで見た。タイムスリップしてあの時は声をかけることができなかった好きな人と仲良くなるみたいな話。結構面白かったな。

サブスクは確かに便利なのだが、音楽を聴くというよりは、SNSを見ながらついでに音楽を聞いている、つもりになっている、なにかがないと音楽は聞こえてこない、という現実になんだか嫌気がさしてサブスクは解約してしまった。

その反動なのか、何なのかはわからないが、レコードで音楽を聴いている。
僕の好きなアーティストの一人であるadieu(上白石萌歌)もLPでアルバムを発売してくれているので、好きだ。僕はファンなのでCDも買ったがレコードも買った。12月のライブが楽しみで仕方がない。
大瀧詠一のロングバケーションもLP版で聴いている。
フリッパーズギターとキリンジのアルバムのLP版がどうしても欲しいのだが、市場ではとんでもないプレミアムな価格になっていて手が出せない。再販を強く願っている。

レコードの良さというのは、よっこらせ、と準備する瞬間である。さて、音楽を聴きますか、という姿勢になるのだ。
そして、音が鳴り出す瞬間というのがとても好きなのだ。針をすっと回転している円盤に滑り込ませる瞬間がたまらなく愛おしい。

なんてことのないワンルームが、音楽で満たされる。もちろんオーディオの設備なんかはないので、音質はそんなに良くない。だが、その素朴さに耳を澄ませている時間がとても良いのだ。
部屋はもちろん暗くする。ランタンのあかりと珈琲を用意する。
クラシック音楽もレコードで聴きたいと思っているのだが、中古レコードには興味がないのだ。いや、興味はあるのだが、あの独特の匂いがダメなのだ。体調が悪くなってしまう。
よくブックオフで働いていたな、と思ったがマスクは欠かせなかった。コロナ禍を予測していたかのように仕事中はマスクが手放せなかった。くしゃみが止まらなくなるのだ。

新品のオーケストラのLPはあるのだろうか。あるのなら買いたい。渋谷のタワレコに行ってみたいといつも思いながら、あまりの人混みで断念してしまう。12月に東京に行くので、今度こそアタックしたい。
聴きたい曲は、ブラームスのピアノ協奏曲だ。ブラームスといえば交響曲の方が有名で演奏される機会が多いのだが、協奏曲も良いのよ。コンサートで聞いてみたい。この前はレンタカーでドライブしながら大音量でピアノ協奏曲を聴いていた。気持ちよかった。高速道路なので、音量を上げたというだけです。
勘違いしないで欲しい。信号待ちの黒のワンボックスカーが総じて奏でている謎の重低音と一緒にしてもらっては困るのだ。
あとは、リヒャルトシュトラウスのオーボエ協奏曲も良いなあ。

とここまで書いていて、最近の曲を全然聴いていないことに気づいた。いや聞いてはいるはずだ。動画の後ろで流れていたりするのだから。
しかし、おそらくそれはサビの部分だったり、一部でしかない。

もしかすると、ヒット曲、という概念そのものが崩壊しつつあるのかもしれない。最近流行した音楽は何か、としばらく考えて、ギリギリドンギリギリドンが頭の中で再生された。きっとこの曲も、年が明けたらみんな忘れているのだろうか。その前は、うーん、ああ鬼滅の刃の曲か!と思ったけれど、鬼滅の刃が流行ったのはもう結構前だよな、(ちなみに見たことはない)

音楽が、使い捨ての容器のように簡素化されていくのであれば、僕は、のんびりとレコードで音楽を聴いていたいな、と思う。LPがなければCDでも良い。アルバムを、もしくは交響曲を通して聴くことの喜びというのはなんとも説明し難いのだが、善き経験であると思っている。
次に引っ越しをしたら、無印の壁にかけられるCDプレイヤーを買おうと思っている。販売中止にならないことを願うばかりである。


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