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ゆらゆらを抱える

先月、5月19日に行われた文学フリマで初めて本を売る側で参加した。
『ゆらゆらを抱える』という25のエッセイと4つの小説(4万字)を収録した作品集を販売した。

結果は、持っていった分全て、売り切りました!
45冊売れました。ありがとうございます。


イベント開始前、設営の様子。ドキドキでした。
うれしい。もう少し持っていけばよかったかも。

ただ、東京での開催で、会場に来られなかった方にも、届けたい。
読んでほしい…

という思いで通販を始めました。
購入はこちらからです。あと数冊あります。

ただ、何もわからないものを買う、というのは申し訳ないので、
本書の「はじめに」の部分を公開します。
ぜひ読んでいってください。そしてもしよければ買ってください。

はじめに(実際の書籍は縦書きです)

ぼくは、二〇二三年十一月に開催された、文学フリマ東京に初めて参加した。
 
熱狂の渦に飲み込まれた。
 
そして帰る頃には、おそらくぼくの中で何かが変わっていたと思う。本が好きな人しかいない空間。
 
「本が好き」って改めて素敵だなと思った。
 
そして、それを文章で表現することのできる人たちの凄さに圧倒されたのだ。
ぼくは、ただの本が好きな人、本を読む人である。目の前にいるのは、本を書いている人。自分の頭の中にある、まだ言葉になっていないモノたちを繋ぎ合わせて文章にすることができる人たち。百四十文字で本の感想を書くのでさえ苦戦しているぼくにとって、一冊の本を作るということがどれだけ大変なことなのか、想像すらできない。
 
なぜ、その本を作ったのか、なぜそれを書こうと思ったのか、たまらなく知りたいと思った。
 
なので、ほんの少しでも気になったものがあれば、手に取り、買って帰ることにした。さながらバイヤーになったような気分であった。普段仲良くさせていただいている方の本は買うと決めていたが、あとは直感。本の見た目や内容、というよりは、販売している人の顔をみて、いったいこの人はどんなことを考えているのだろうか、知りたい!という気持ちを優先した。目があった人のブースに立ち寄り、いろいろ話を聞いて、面白そうと思った本を買った。
直感で目があった人の本を買いましたよと、SNSで仲良くしている作家さんに話したら、
「ポケモンバトルみたいだね」
と返答された。さすが作家だと思った。とっさにそうやって言葉が出てくるのがすごいなと思った。それを聞いてふと、考える。
 
ポケモンバトル。
 
目があったトレーナーにバトルをけしかけられて勝負をする。ポケモンのゲームで最初に出会ったトレーナーに、「目があったらポケモンバトルだぜ!」みたいなことを言われて、ゲームが進行していったと思うのだが、
「そういえば目、合ってなくない?」
 
たしかに、あなたの前を通ったことは認める。でも目なんて合わせていない。勝手に目をつけられて、なんの断りもなしに勝負を挑んでくる。そういう絡み方してくる人、嫌いだなあ、嫌だなあと、いまさらながら思った。
そのことに運営側は二十五年かかってようやく気づいたのか、最新作スカーレットバイオレット(二〇二四年五月時点)ではこのシステムが廃止されている。そのくせ一回負けたらもう戦ってくれないし、(再戦できる人もいたのかな)エリートトレーナー(エリートトレーナーとは?)たちは一生チャンピオンロードの洞窟にこもって修行?している。洞窟にこもっているトレーナーたちは、ポケモンマスターを夢見ているはずなのに一向にそこから出てこない。
ぼくは思った。
 
洞窟は、可能性のメタファーである、と。
 
その洞窟にいる限り、ポケモンマスターになれるかもしれないという可能性の中で生きていくことができる。果たして、可能性の中で生きることに本当に意味があるのだろうか。そろそろ洞窟から出ていかねばならないのではないか。
はじめは、強烈な光に目がくらみ、痛みを感じるだろう。きっと涙がボロボロと流れるだろう。でも、それになんとか耐えると、次第に目が慣れてくる。少しずつ世界が見えるようになってくるだろう。
 
ぼくは、決めたのだ。次は、本を売る側で参加する。
 
と、このような決意から約半年後、ぼくは文学フリマに出店することになった。有言実行、というよりは、言ったもん勝ち、のような感じで、何も準備もしないまま、えいっ!と参加申し込みをしてしまった。ワクワクする気持ちも、もちろんあったのだが、少し時間が経過し冷静さを取り戻すと、ものすごい不安が襲いかかる。さて、どうしようか。当然売るものはまだ何もない。アイデアもない。
 
「なんか、じわる。」
 
まるで天啓のように、おぼろげながらこの言葉が浮かんできたのだ、あの人みたいに。よし、これでやってみよう。上手くいくかは分からないが、本書を通じて、「なんか、じわる」を感じてもらえたらうれしい。そしてぼくの日常で起きることに対してくすくすと笑ってほしい、そして時に同情してほしい、そんな思いである。
 
本書は、ごく普通の会社員が、何もない殺風景なワンルームで綴った生活エッセイである。日常生活で起きることに対して、一体これは何だろうか?と自分なりに問いを立てて、自分なりに解決しようと日々奮闘する、いわば当たり前の営みを描いている。珈琲を淹れ、本を読み、散歩をして、仕事をする。たまに旅行もする。幸い、そんな普通の生活の中にもたくさんの問いが僕を待っていてくれる。そして、ふとした瞬間に、例えば、それが過去の記憶に結びついた時なんかに文章が制御できなくなってよからぬ方へと飛躍していく。そうなると、僕の空想は止まらなくなってしまうのである。僕は机上で冒険を始める。空想することは、ある意味では自分を励まし、鼓舞するものである。
 
 独身男性のワンルームで繰り広げられる空想に一体誰が興味を持つのだろうか。もっとキラキラした華やかな生活を読ませろ!と言われても、そんなものは無いのだから仕方がない。
 それでも良ければ、しばしの間お付き合い願いたい。僕はここに全てを曝け出し、あなたを楽しませたいという一心で、綴っていく。
 
 本書は大部分をエッセイが占めているが、小説を一編書いたので掲載することにした。また、最後の三つの掌編は、都内で珈琲を販売されている八七一珈琲さんとのコラボ商品「珈琲×小説」で生まれたものである。こちらはどうかほのぼのとした温かい気持ちで読んでいただけると幸いである。

『ゆらゆらを抱える』はじめにより

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