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日記9月29日(日) 

9月がもうすぐおわる。といっても何か自分の生活が変化するわけでもなく、あいかわらずノロノロ運転である。
今日は、珈琲を淹れて、品田遊『キリンに雷が落ちてどうする』とシオラン『告白と呪詛』を交互にちょびちょび読んでいた。どちらも面白い。

部屋でゴロゴロしていたら、ふと、高校時代のことを思い出した。
寒い冬の空。僕は、新しいコートを着て登校していた。
すると、同じ部活の女子に「そのコート似合ってるね」と言われた。
僕は、ああ、そうかな、となんだかごにょごにょして終わってしまった。
あとから、その場にいた他の女子に、「ねえ、さっきのは、ありがとう、とかうれしいとか言えばいいんだよ」と咎められた。
もしかしたら、褒めてくれた子は、僕のことが好きだったのかもしれない。
まあ、そうでないにしても、確かに指摘されたことはその通りだなと思ったのだが、僕は褒められるということに対して耐性がなかった。
いまでもうまく返せない。文章でのやり取りなら、うまくできるのだが、おそらく直接言われたら、またごにょごにょしてしまうと思う。

僕は、両親にあまり褒められた経験がないのかもしれない。もちろん小さい頃はたくさん褒めてくれただろう。初めてハイハイしたとか、歩いたとか、喋ったとか、そういうのは。

だが、成長するにつれてそういうことは無くなっていたように思う。
怒られることの方が多かったかな。
別に褒めてほしくて何かを頑張っていたわけではないけれど、少しくらいは喜んでくれてもいいのになと思っていたのかもしれない。
例えば、中学校のテストで1番になった時とかにさ、まあじゃあ今日はすき焼きにしようかしらとか、お父さんもビール飲んじゃおうかなあとか、そういう大袈裟な奴、経験したかったなと思う。でもそれはそれで、なに勝手に喜んでんだよ、うるせえとか言っちゃうんだろうけど、多分嬉しいと思う。
僕が子どもを持つことは、おそらくないだろうけど、父親になるとしたら、そういうことをしてあげて、うざがられたいと思う。
両親に対して不満はないけど、褒め耐性はつかなかっただけ、ということだ。

だから、すらっと自然に褒められた時に返せる人を見ると、ああすごいなといつも思ってしまう。何か言わなきゃって思っているうちに、終わってしまって、家に帰ってから、ああ、こういうべきだったなとか反省しちゃう。

これは結局今になっても変わらない僕だ。
こんな時は、こう返そうみたいなマニュアルのようなものをノートに書いてみたこともあったけど、なんだか馬鹿らしくなって辞めた。

結局は、こういう人です、それでもよければ、と思ってもらうしかないのだと思った。


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