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【5分で読める小説】一億人オーケストラ

お題:なし
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 目を覚ましたら、口からファの音が出た。

 いつもと変わらない朝だと思っていた。目覚まし時計に空手チョップを食らわせ、のっそりと布団から起き上がって、大口を開けてあくびをしたら、口からトランペットの音がしたのだ。きれいなファの音だった。続いてわたしは「えっなんだこれ!」と叫ぼうとした。しかし実際に口から出たのは、「パッパラパァ!」だった。
 ノックの音と共に、部屋のドアが開けられた。父母だった。
「プァッパッパラパ!」と父。
「ピッピロ、ピロピロピー」と母。
「パパラパーパー!」わたしは言った。「訳分かんねーよ!」の意である。

「パッパラプァー(訳:いってきまーす)」と言って、わたしは家を出た。今日は平日。とりあえずわたしは学校に行かねばならない。
 行く途中で友達に会った。わたしは手を振ると、友達も手を振りかえした。しかし、双方ともあいさつをしようとしない。まさか友達も。わたしは思い切って口を開いた。
「プァパッパ?」
 友達は激しく頷いて、「シャンシャンシャン!」と言った。タンバリンだ。
 耳を澄ませば、町のあちこちから楽器の音が聞こえた。

 チャイムが鳴って、我らが担任のゲタ(四角くていかつい顔をしていることから名付けられた)が教室に入ってきた。それまでは、まるで音楽室をひっくり返したように色々な楽器の音が飛び交っていたが、ゲタが入ってくるなり教室は静まり返った。みんな、先生がどんな楽器なのか聞きたがっているのだ。先生が口を開いた。
「ポロポロポロン」
 なんとピアノである! その顔に似合わない美しい音だったので、教室中にプァーだのピーだの驚きを表す楽器の音が飛び交った。
「ジャン!」とゲタが一喝(和音で)。いつもの調子からして、ここは「うるさい!」という訳語が適切だろう。しかし迫力は皆無だ。楽器の笑い声がドッと上がる。ゲタは顔を赤くして笑い声を手で制した。その時である。
「チッチッ、ドンシャンシャン!」
 クラスのお調子者の男子が、律儀に手を挙げ、立ち上がって意見を発した。ちなみに彼はドラムである。
「ポロン? ポロポロポロ」
 ゲタは黒板をコツコツと叩いた。楽器では通じないから文字で書け、という意味だろう。しかしドラムの彼は首を振り、掲げた手でリズムをとりはじめた。
「ドン、チッチッシャン、ドン、チッチッシャン」
 わたしはぴんときた。言葉が通じなくとも、ドラムの彼が何をしたがっているのかは分かる。わたしも席を立ち、低めの音で彼のドラムを彩った。タンバリンの友達も、立ち上がって音を合わせる。ギターも、リコーダーも、ハーモニカも加わった。ゲタは目を丸くしてその様子を見ていたが、前の席の子たちにせかされると、咳払いを一つして、ピアノの音を遠慮がちに乗せ始めた。
 ちょっと不細工ではあるが、クラスのみんなで作り上げた曲だ。それぞれの楽器で歌いながら、みんな楽しんでいる。例に漏れず、わたしも、そしてゲタも、そのうちの一人だった。
 誰からともなく、外の廊下に出て、みんなで行進を始めた。すると隣のクラスのドアが開いて、隣のクラスの人たちも、わたしたちの曲に加わった。その隣も、下の階のクラスも。やがては学校中の人々が校舎の外へ出て、歌いながら町中へ繰り出した。数十分もすれば、町中に楽器の音が響きだした。
 歌い続けていても、わたしはまったく苦ではなかった。むしろ、こんなに大勢で一つの曲を作り上げていくのが、楽しくて楽しくて仕方ない。
 町の大合唱は、お昼の休憩をはさんで夕方まで続いた。その頃には町中の人の気持ちも一つになって、最後には大きなクライマックスを迎え、しっかりと締めくくった。その後自然と拍手が起こり、解散という形になった。
 その日のテレビニュースの一面は、日本中の人の声が楽器になってしまったことと、各地で素晴らしいオーケストラが演奏されたということだった。

 次の日。目を覚ましたら、口から普通の声が出た。
「あれ?」
 ノックの音と共に、部屋のドアが開けられた。父母だった。
「やっぱり戻ってるぞ!」と父。
「昨日だけだったのね」と母。
「一日限定かよ!」わたしは言った。「何で戻っちゃったんだ!」の意を込めて。
 もしあのまま楽器を歌えたなら、みんなが平和で楽しく過ごせたかもしれないと、私は本気でそう思っていたのだ。



(2011/05/22)