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アイヌ文化に触れる-ウポポイへ(踊り編)-

北海道を訪れた目的のひとつはアイヌ文化に触れることでした。
今回は、札幌市内にある「北海道博物館」と石狩市内にある「いしかり砂丘の風資料館」、そして白老町にある「ウポポイ(民族共生象徴空間)」を訪れました。
特にウポポイは以前からいきたいと思っていた場所で、とても素晴らしかったので記録に残しておきます。


ちなみに「ウポポイ」はアイヌの伝統的な歌「ウポポ」をみんなで歌ってつながるという意味だそうです。

園内には国立の博物館がありました。
国がアイヌ文化の保護・継承にのりだしていることに希望を感じました。


アイヌの何に関心があるのか

衣食住、物語、踊り、工芸、ルーツ、歴史、人権的視点・・・さまざま切り口はありますが、私の場合、昔から関心があったのが「踊り」と「工芸」と「物語」、そして今回、新たに「歴史」「ルーツ」に触れたことが響くものがありました。

踊りは「模倣」

博物館内でみた映像にはツルやウサギなど、動物の動きを模倣したものがありました。
また、クマやクジラをいただく(魂を送る)儀式の映像、変わったところでは、昔、帯広でバッタが大量発生して困った体験を踊りにしているものもありました。

多くの民族舞踊との共通点

大勢で舞う群舞であることと、大地を「踏む」という動きが多いこと、物語であることが特徴です。

それはコミュニティーダンスだった

群舞であることは、コミュニティーの中で踊るということです。
1人の優れた踊り手がいて、パフォーマンスとして踊るものではありません。
踊る舞台はホールではなく、村の集会所あたりだったのでしょうか。
サークルで踊る場面も非常に多かったように思います。

現代社会においては「踊り」というものが、くらしから切り離され、踊り手と観客に分けられ、ホールやステージで分けられています。
踊りの文化ひとつとっても、あらゆることが分断され続けたことを、今回も感じずにはいられませんでした。

大地とつながる


踊りが大地とつながるものであったことを感じさせるのが、「踏む」という動きからあらわれえています。「踏む」と「跳ぶ」を繰り返します。

類似の踊りで、パッと思い浮かぶのが、東北・岩手県を中心に今も残る「鹿踊り」です。


鹿踊りのルーツも辿っていくと、だいぶ興味深いものがあるのですが・・・
鹿を模していて、「跳ぶ」「踏む」を基本的に繰り返します。

踊りとしてのかっこよさはもちろんのこと、鹿踊りは先祖供養であり、神とつながる行為であり、また物語があり、コミュニティーで踊られて、コミュニティーの支えにもなっていて、この点も非常に興味深いです。

海外のダンス好きな方で日本の踊りというと「舞踏」というイメージがあるようです。
実際に、舞踏はメイド・イン・ジャパンであり、バレエに象徴される西洋的な踊りは、常に重力に抗って上半身を使って上にいくエネルギーを使うのですが(この辺りキリスト教的な思想の影響が強そうですね)、舞踏は丹田を起点に下半身を使って、大地のつながりを重視します。

舞踏のレジェンドのひとり、土方は東北の厳しい田舎のくらしの体験から舞踏を生み出したと、どこかで聞いた覚えがあります。

「踏む」という動きは、日本的だねと言いたくもなるのですが、そもそも民族舞踊は世界中にあり、人類共有の部分もありそうなので、世界の踊りのリサーチも今後、やってみたいです。
アフリカのマサイのあの高い跳躍も、「跳ぶ」だけじゃなく「踏む」が重要だったりするのかもしれません。

物語としての踊り

アイヌだけでなく、かつてはどの地域も口承文化でした。

語られる内容は、地域のくらしに関わること、動物、先祖、神々などなど。
踊りも地域に伝わる叡智を物語というパッケージにつめ込んで継承していくという機能があったのだろうと、ウポポイでみたいくつかの踊りをみて感じました。

あまり明るくはないのですが、ハワイで踊られる「hula」のひとつひとつの所作に意味があり、物語になっていると聞きました。
実際に、huiaを体験して、文化を学んでみたいです。


白老の海岸


長くなったのでここまで。
「踊り」という視点からも探究しがいがあります。

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